公募への道のり(1)賞を獲りに行くポイント
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これは昨年、私がnoteでこっそり名前を変えて綴ったブログである。
2020年7月7日のブログだ。
ツイッターを辞めた後だったので、フォロワーさんじゃないであろう方が「いいね」を一つ下さったブログだ。
再度、ここに載せておく。
ちなみにnoteは退会させて頂いた。
公募は、審査員の好みに合わせて描く人が多いらしい。誰しも、出品するからには賞がほしい。出来るだけの対策はする。否定しない。それも、その人の人生だ。私と目指すものが違うだけだ。
ただ注意して頂きたいのは、審査員に添ったところで、ある程度の画力がないと当然、入選も入賞もしないのだ。
私は自分が描きたいものを描く。
残念ながら、描きたいものしか描けないから。
今回の公募は肩書きが欲しいから、出品する。出してみないとどんな結果になるのか当然出ない、やってみるつもりだ。
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私は自分から絵画の公募に出品したことがない。
そもそもしたくても、方法がわからなかった。早くに方法さえわかれば、自ら出品していたかもしれない。
そして、私は「美術系」の学校を卒業していないというコンプレックスがある。美術の教育は中学校までしか受けていない。
思えば受動的な人生である。
絵画については、中学まで学校の先生がなんらかの公募に出してくれていたのだ。賞をいただいた時に初めて「そんなものに出品していたとは!!」と知るのである。そして、そう抜きん出てもいない私は、多く用意されているであろうあたりの「賞」をとるのである。
美術系の学校に行きたかったのは山々だ。大人の事情である。私は子供で、何も知らなかったのもある。高校受験も高校生活も地獄であった。親が決めた進路に進み、何の希望もなく暗黒の時代を過ごしていた。
たとえ神様が「時間を戻してあげるよ」と言っても、遠慮する。いつもいつも精一杯で生きてきた私は、過去に戻りたくない。
そんな受動的な私が、昨年あたりから能動的になり始めた。
ここまでくるのに何十年かかったが、ツイッターを始めたのがきっかけかもしれない。
解雇に何度も合い、人生を諦めかけていた私に、ツイッターで絵の友人ができたのだった。今は絵に対する考え方の違いにより、距離を置いている。でも、彼女がキッカケだった。
そして、一度「二人展」をやろうと至ったのだった。これは、ご時世だったり諸事情により、一度中止になったのだが、結局一人ですることになり「個展」となったが、詳細はまた別の時にお話したいと思う。
ただこのご時世、今後がわからなくなった。誰しもがそうであろう。私もそうだ。
「明日死ぬかもしれない」と思った時に、私は「大きな絵を描いてみたい」というのがあった。ただ、カンバスは大きいほど高い。無職でお金をあまり持たない私には痛い出費である。
しかし、先日、50号のカンバスを買った。
今まで描いても「誰かに見てもらいたい」という欲がなかった。ただ、もう死ぬかもしれないと思った時、誰かに見てもらおうと思ったのだ。
正直まだ出品するかどうかわからない。
今年の公募は中止になったので、出品するとしたら、来年に向けて描く形となるが。
出品するなら、賞を取りに行きたいものだ。
規定では80号までだから、多くの人は80号で描く。
80号の方が賞を取りやすいからである。
(※昨年までの公募の規定は80号がマックスだった為、80号であるが、今年から100号までと変更されたので、予想では100号で描く人が増えるであろうと思われる。)
カンバスが大きいほど、インパクトが強い為であろう。そう、賞を取るにも獲りに行き方があるのだ。資格と同じように。
私が買ったカンバスは50号である。これは予算の都合上もある。カンバスは大きいほど高価になるからだ。それに80号になってくると私の小さな賃貸の部屋では、保管に困るのであった。
何よりも私は大きなカンバスに絵を描いたことがないのだ。
この50号は試作となるだろう。
昔に比べると、私の大きな第一歩である。
(2020,07,07のブログになります)
(公募への道のり(絵画)その2 へ続く)
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