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3月, 2025の投稿を表示しています

「胡乱な聖典の信じ方」藍上央理(著)、読了。

私は極度の怖がりである。 ホラー映画なんてもってのほかだ。 自分から進んで観ることはない。 一度、昔つきあっていた人とジェイソン(このシリーズは沢山あるので、この中のどれを見たのかは記憶がない)を付き合いで見た。 その彼はそれを笑って観ていたから「この人のことは一生、理解できないだろうな」と思った。 当然、うまくいかなかったのでお別れした。 その彼は一人でもジェットコースターに笑いながら乗っていた。 「怖さ」を楽しむことが出来る人なのだと思う。 なんだか羨ましくもあった。 過去に一度「ホラー小説」と呼ばれるものを読んだことがある。 本当に一冊だけだ。 入院していたときに、お隣のベッドのご婦人が貸してくれたのだった。 これもどちらかというと付き合いで読んだ。 長期の入院だったので生活に娯楽がなかったのもあるし、ご婦人はとても本が好きな方だったので、本好きが勧めるホラーとはどんなものなのか読んでみたいという好奇心もあった。 とにかく 「面白いわよ!そして、、、怖いわよ、、、最後らへんを夜、思い出すのよ、、、」 と勧めてくださったのだ。入院の荷物の中にたくさんの本をお持ちだった。 そのホラー小説は「ぼっけえ、きょうてえ」岩井志麻子(著)である。 ご婦人が語った怖さを私は感じられずに終わった。 私は、なんとなく俯瞰して「物語」として読んだので、感情移入的なものができなかった。 ただひとつ、表紙の絵だけは怖かった。 怖いと感じたのだった。 それだけは覚えている。 もし怖い絵を描くなら、あれくらいの気迫が伝わるもの描きたいって思う。 曲がりなりにも私は日曜画家だからな。 そんな私が人生二度目のホラー小説を読んだ。 それがこの本である。 滅多に外出しない私が、用事があって外に出た折に、図書館へ寄った。 地下鉄の中で読む何かが欲しかった。 じっくり本を選ぶ時間などない。もう地下鉄に乗らねばならぬ。 ぎりぎりに家を出たからだ。 体調が悪い時はぎりぎりまで横になっている私だ。 「新着本」と書かれた小さな棚から「文庫だったら軽いし、薄い本だから読めるだろう」と何も考えずに借りた。 地下鉄電車の中で早速読み始める。 「ホラー小説ではないか!!!!!!!!」と心の中で叫ぶ。 なんと舞台は私の住む九州であるし、。地下鉄もでてくるのか! 天神も博多も、地名がでてきていますけれども? とにかく驚い...

私の中で、マイクロプラスチックは蓄積されているのか?

9年前だったか。 ナショナルジオグラフィックを見て、ゾッとしたのは。 私の勤務先はその雑誌を受け入れしていたので、みる機会があった。 海と鳥、鯨、プラスチック類を飲み込んでしまった、末路。 そんな写真が目に飛び込んできたのを覚えている。 マイクロプラスチックの特集であった。 私の学生時代は、社会科でまだマイクロプラスチックによる環境汚染などは教科書に記載がなかったのではなかろうか。 よく耳にする SDGs なども、もちろん載っていない。 この頃、マイクロプラスチックが体内のどこに多く蓄積されるか、判明したようだ。 それは、 脳だった 。 この頃のニュースでは心臓発作や脳卒中などに関連があるとのことで多く報道されていたが、脳に蓄積されると痴呆症のリスクが高くなるようだ。 もっと詳しく知りたい方は上記の単語を検索してみると良い。 「脳卒中 マイクロプラスチック」 「脳 マイクロプラスチック」 と入力すれば、だいたい何かしらヒットすると思う(各ご家庭でブラウザが違うでしょうから、ヒットの順序や内容が少し違うかもしれない。) 私はよく飲み物を飲む。 茶葉から飲めば急須を使うから、特に問題ない。 ただ私が飲んでいるお茶はどちらもティバッグに入っているのだった。 ティバッグはプラスチックでできているものも沢山ある。 このニュースを知ってから、私はティバッグに注目するようになった。 私がお茶を飲むのは、食べることに関しての楽しみが人より制限されていることにある。 私が飲み物を飲むのが楽しみで毎日過ごしていると言っても大袈裟ではない。 私は小さな頃から食物やその他のアレルギーがある。 私が小さな時は、気にしていなかったし、そもそも病院でそんな検査を受ける機会もなかったのだが、大人になってからひどくなり、検査したところ、色々なアレルギーを持っていた。花粉、ハウスダスト、動物の毛などなど そして、食品アレルギーに関しては、乳製品も私はアレルギーがあるらしい。 とにかく体がだるくなる。 小中学校は、毎日、給食で飲んでいたから、あのしんどさは牛乳だったのかなと、今、振り返って思う。若さでなんとか体を動かしていたものの。 まぁ、それはどうでも良いか。 いや、関連するかな。 食べ物の栄養というのは少しずつ蓄積されていくようだ。 体に合わないものを摂ると、何年後かに「あれ?!」と体を悪くしていた...

嫉妬ができるということ

 私はこの頃、ある作家さんに 「嫉妬はしないの?」 と聞かれた。 嫉妬にも色々種類があると思う。 多分、この場合の嫉妬は、「作品を創作することに対する嫉妬」を指す。 素晴らしいものを作った相手に対する嫉妬。 アルカナ?アルカナ? ??? 少し考えたが、答えが出てこなかった。 「ないんだ!!」 と驚かれた。 私には嫉妬をする気力と体力がないのだと思う。 私が皆と違うのは、デフォルトに体力や気力がない点である。 そもそも創作物には勝ち負けがないと思っている。 私は勝ち負けが決まる世界が苦手だった。 ゲーム、スポーツなど、必ず勝ち負けがあるものは進んでは、しない。 ゲーム、スポーツもどちらも苦手であるが、やるとしても単独でできるものしかしない。 ゲームはよくテトリスをやっていた。対戦はもちろんしたくないので、しない。 スポーツは、小さい頃、近所に卓球をしにいっていた。 それは、誰かと対戦するというより野球のバッティング練習に近い。球が向こうから出てくるのを打ち返す。そういう卓球台がバッティングセンターに置いてあったのだ。それをやっていた記憶がある。 そこまで興味がなかったのに、なぜ卓球をしていたのかは思い出せないが、きっと兄がバッティングするのについて行って、私は手持ち無沙汰だったのだろう。 兄は小さな私に色々と興味を持てるように、 ザリガニ釣り ゲーム オセロ キャッチボール 虫取り 等を教えてくれたのだが、私は全く興味を示さなかった。 こうして並べてみると、兄は男の子寄りの遊びを私に体験させてくれたのだが、そもそも体が弱かったので、絵を描いたり、本を読んだりすることが多かった気がする。 とにかく誰かと比べられるような分野は苦手であった。 兄が勉強もスポーツもできる人であったから、私は母や周りに兄とよく比べられたこともその一因としてあると思う。 兄とは友人の数も、体力のあるなしも全部、正反対であった。 当然、好む分野が違う。 私は当然、勝ち負けがない世界を私は欲していて。 そんな世界はないのかもしれないが、できるだけ、それが見えない世界を欲していて。 私は誰かの評価を求めていないのかもしれない。 「嫉妬」というのは、まず誰かの何かを自分の何かと比べることで発生するのではないか。 では、やはり私は自らはそれをしないのではなかろうか。 それは私が苦手な「勝ち負け」に...

「マイケル・ジャクソンと神秘のカバラ キング・オブ・ポップ 精神世界探究の軌跡」サッチー亀井(著)、読了。

タイトルを見てお分かりのとおり、ちょっとスピリチュアルが入った内容の本であった。 この本も作家さんからお借りした。 そもそも「カバラ」を知らないので、こうしてご縁がなければ、私が読むことはなかった本だったと思う。 ちなみにこの本の「カバラ」は「カバラ数秘術」を指します。(多分) ありがとうございます。 読みやすく、一気読みです。 3時間ほどで読みました。 私はこの本を読み終えた時、街にある美術館の貸しギャラリーで昔、マイケルジャクソン展を見たのを思い出した。 会期は次の日から始まる展示だったのだが「明日からかぁ」とガッカリしていた私に主催者の方が声をかけてくださり、なんと前日に一番乗りで見せて頂いたのだった。 様々な形のマイケルジャクソンがそこにあった。 そもそもどんな集まりなのか?と聞いたところ、SNSの呼びかけで作家さんたちが集まり、各々が大好きなマイケルジャクソンを描いたという展示だったと思う。(敬称略) 「SNSで集まった方々」と聞いたときは時代を感じた。 私はその頃、仕事に悩んでおり、最終日に再びこの展示を見にきて、搬出の手伝いをしたのだった。 その頃の私は絵など描いていなかった。 色々とあって仕事を辞めた後だった。 私はいじめられて辞めた。 この先どう生きたら良いか、前に踏み出せずに、悩んでいた。 そんな時に久しぶりに絵を見た。 作家さんたちが各々とのびのびと素敵なマイケルをお描きになっていたのが印象的だった。 すっかりそんなことがあったのを忘れていた。 私はマイケル・ジャクソンの曲をほとんど聞いた事がない。 私という人間は英語が苦手であったので、洋楽は殆ど聴かなかった。 そもそも辞めた職場のリーダーは、私が英語を話せないことに対して、不満があったようで。それは本当に私の力が及ばず、申し訳なかったと思う。 これが英語学習をするきっかけになった一因でもあると思う。 そう思うと、辞めた職場にも感謝しかない。 今は学習をしていないが、3年間中学英語を学習してみて、英語のこと、なんとなくイメージができた。 英語は最初に大事なことを言って、その後にずっとその大事な部分の説明を長く付け足していく。そんなことに気がついたのは、大人になってから、こうして再度学習をやり直したからだと思う。要は最初だけ聞き取れれば、なんとかなる(?)ということを知ったのだ! 中学生の時はそ...

「近代日本における出産と産屋」伏見裕子(著)、読了。

学校の課題などでない限り、自分の興味のない分野の本は、どの人も読むことがないだろう。 また、全く知らない分野の本もきっかけがない限り、自身の人生の中でたどり着けないだろう。 自分が手に取るような分野ではない本を借りた。 本当に未知との遭遇!! 新しい人に出会うと、新しい分野を知ることになるのだなぁとしみじみ思った。 この本は、民族学を学んでいる美術作家さんにお借りした。 ありがとうございます。 お若くして、こういうことに興味を持ち探求なさっているなんて、将来が楽しみな作家さんだといつも思う。 偶然だったのか、必然だったのか。 私が次のグループ展のために描こうとしていた作品の一つに添うような内容の本であった。 女性というのは月に一度生理がくる。 それを「穢れ」として捉えていた時代があった。 私は神社が好きなので、神社みたいな絵を描こう(「どんな絵なんだ?」と思われるに違いない)と思った時に、いろいろ調べていて知ったのだが、生理期間中は神社に行ってはいけないのだそうだ。 生理は「穢れ」とみなされるらしい。 そして、同じく出産もそうだったらしい。 この本にもそのような事が書かれてあった。 日本は島国である。 その島国の中の島、香川県の伊吹島にあった出部屋(産屋)についてのフィールドワーク(論文)がこの本の内容だった。 CiNii で調べたら、著者の新しい論文が他にもあるのかもしれない。 島国とは本当に限られた世界なのだと、改めて思った。 その島国日本の中には、たくさんの島があるのだが。 小さな共同体の中で作られてきた生き延びるための知恵が、いつの間にか「穢れ」という教えで伝えられてきたに違いない。と、勝手に思った。 それは動物的で、本当に本能的だと、私は思った。 以上である。   もっと素敵な感想があっても良いのかもしれないが、私は読みながら「人間も動物なのだ」ということを改めて思ったのが、率直な感想なのだった。 これらについては、私は絵で表現しようと思う。 そうだなぁ。 私にとって、感想を綴るには難しい本だった。 子供を産み育てるというのは、手がかかるだろうから、やはり周囲を巻き込みながら楽しく人を育てて欲しいと思う。 「周囲を巻き込みながら楽しく」という役目を少なくとも産屋がしていたのだと、私は思った。 産屋は産婆がいて、そこに近所の方だったり、大勢いた兄弟だったり、...