「社会は「私」をどうかたちつくるのか」牧野智和(著)、読了。
世の中には自己啓発本があふれている。 その大抵は、元祖の考え方があって、そこから引っ張ってきたネタを大きく長くかいてある。要はページ数を増やして「本」という形にしたもの が多かったりする。 形だけのものに引っかかってしまう時、私には多々あった。 それは自己啓発本に限らず、どの分野の書籍もそうだ。 わたしはどちらかというと元祖を知りたい派である。 (そこを判断するのに、私は目次と引用、最後あたりにある参考文献の一覧などを見て判断する。) この本は、自己啓発本もかなり読まれている社会学者の方が書いた本だ。 なので、元祖がたくさん載っている。 元祖を一冊一冊たどって読むのは難しいが、こういう頭の良いひとがざっくり説明しながら書いてくださっているので、怪しい自己啓発本を読もうとしている人は、この本を読むといい。 自己(「私」)についての考えは、個人個人で持つことがベストであるが、それはなかなか難しい。 それぞれ身を置いている環境が違うからな。 そして、この本にもある通り、生き方の選択肢が増えたし、同じ職業にずっと就くという社会ではなくなったからな。(それはSNSの発達も大きいだろうが、労働法が変わったことも一因だと思う。私個人の意見だが、会社が保障していた部分を国が保障する制度を作って補う必要があると思う。) ただ、まだ「私とはなにか」と悩んでいる人は幸せなのだと思う。 悩んだり考えたりできる環境があるということは、まだ幸せなのだ。 もちろん、こうして考える時間がある私もそうだ。 「私」ってなんだろう?と誰しも一度は考えたことがあるのではなかろうか。哲学者や社会学者、精神科医などの考え方の説明があり、時代とともに変遷していく環境や考え方など、おもしろく読むことが出来た。 色々な学者さんたちの考え方を著者の考えも交えながらの内容であったが、終盤で印象に残ったのが、カナダの社会学者アーサー・フランク。 (『傷ついた物語の語り手ー身体・病い・倫理』) 重い病にかかったとき、人々はそれまでの人生における「目的地や海図」を失い、「難破」することになる。つまり、以前はこういうことがあって、今の自分はこうで、そしてこうなっていくという海図(自己物語)を、重い病いによってそれまで同様には保ち続けることができなくなり、違う考え方による新しい海図を書き直さねばならなくなるのだ、と。 私は今まさ...