投稿

「多様性は美しい 分類からはみ出る愉快な生物の世界」稲垣栄洋(著)、読了。

 犬と猫は同じ先祖であったらしい。 「ミアキス」という。 森林にすむと「猫」になり、森林を抜けた広い草原に住むと「犬」になった。どんなふうに犬猫を分類するかというと、交配できるかどうか。 これもどうなのか、交配だけの観点で分類できるのかという話であった 「世界に境い目はありません。(中略)境い目がないと、人間は世界を理解することが出来ません。」 ちなみに、タカとワシは大きさで分けているらしい。 一般的にはワシの方が大きい。(ただし例外はある。) クジラとイルカも同じように大きさで分けているらしい。 案外単純である。 野菜なのか果物なのか。 …という分類に関しては、関税の問題などがあるから、作っている農家さんが都合がよい方に決めていいみたいだ。 大きくは草本性のものを「野菜」、木本性のものを「果物」と分類するらしい。 バナナは木のように見えて草本性なのだそうだ。 「分類学の父」カール・フォン・リンネ。 植物学者。 世界共通の名前をつけること、それが「学名」。学名はリンネ以前からもあった。分類の階層をつけることを提案した人らしい。 界・門・網・目・科・属・種 リンネが提案した「二名法」は現在も使われているらしい。 リンネは、同時によんでいた別の書籍にも出てきた人だ。驚いた。 本書を読んで驚いたのは、息子に自分と同じ名前を付けたため、それを区別するのに「大リンネ」(本人)、「小リンネ」(息子)と呼び分けることがあるらしい。(『百年の孤独』みたいだな…同じ名前が引き継がれていくのだ…) 分類は分類する人たちのものです。分類される人のためのものではありません。(著者の言葉) そこらへんに生えている草で利用できるものは名称も覚えているが、自分にとって、必要のない関係のないものは雑草である。…という認識。 印象に残ったものを書き記しておく。 この著者も同じようなことを言っていたが、分類は人間にとって都合がいいからやるものである。 ただそれだけだ。 私は分類が苦手だ。 「多様性は美しい」と言える人がこの世界には少ないのではないかな。 線を引き、その境界線がはっきりしていないと安心できない人が多い。 そういう方は、多様性が美しいことなぞ考えない、そもそも見ようとしない。分類された中にある確実にある美しさしか見ようとしない。 白と黒しか見えない人には、多様性をみることがない。 ...

「イラストで出会う女性たちのいる美術史」文:李君棠(リー・ジュンタン)、絵:垂垂(チュイチュイ)、訳:多田麻美(ただ・あさみ)、読了。

私は一時期、美術史ばかりを読んでいた時期があった。 その時は気が付かなかった。 美術史の中で女性作家がほぼ登場せず、紹介されることがないこと。 登場したとしても、作家としてではなく、男性画家のモデルとして紹介され「モデルだけど絵も描ける」というような一行程度の肩書き説明があるだけだった。 男性作家のモデルや愛人としての脇役的な登場はあっても「作家」であることは語られていないのだった。 それだけ世界中で男尊女卑があった時代が長かったのだ。 今も表向きはないように見えるが。 苦しんでいる方々がいるだろうな。 この本は、女性作家のみに目を向けた本となる。 23人の女性作家が掲載されており、美術史を交えつつイラスト主流で紹介されている。 イラストに重きをおいているせいか、文字が小さめで読みにくかったな。もう少し字を大きくしてほしかったな、、、ページ数の関係などもあるのだろうな、、、。執筆する人も出版する人も大変だな。 私が気になったのは以下の三人である。 いつものごとく、自身の備忘録としてここに残しておく。 マリア・ジビーラ・メーリアン 葛飾応為 ルイーズ・ブルジョワ マリア・ジビーラ・メーリアン  私は図鑑の絵が好きだ。 図鑑は写真より絵で構成されている方が好きだ。 図鑑の絵は、誰かが目で見て描いた”そのもの”のきらめきが入っていなくてはならない。見る人が「そのものがどんなものなのか」理解できるように、事実を描かなくてはならない。 私自身は図鑑の絵を描いたことはないので、はっきりとは言えないが、私はそう思っている。上記にあげたことは当たり前なのかもしれないが、この当たり前を描くには当然画力が必要になる。そして、対象物に愛をもって接することができないと、対象物のきらめきは描けない。写真より実物を目の前にして描く。その時のきらめきは、そうやって絵に閉じ込められる。 私はこの画家を知らなかったが、この時代で画家としては「アマチュア」に分類されていた。この本は美術作家を紹介する本ではあるが、この方は画家というよりもどちらかというと研究者であると私は思った。 女性であるが故に、大学で学ぶことも許されず「愛好家」というようなアマチュア名称でしか肩書を名乗ることができなかったのだ。そういう時代の方だ。 遺書まで書き、死ぬ覚悟で虫を見たいという気持ちだけで全財産を傾けて、娘二人と共に南ア...

「デモクラシーのいろは」森絵都(著)、読了。

 小説は久しぶりに読む。 体調の悪い日は、体が動いてくれない。 ただ意識があるかないかで、ずいぶんその日の過ごし方が変わる。 頭がぼうっとしていなければ、、、つまり意識があれば、文字は頭に入ってくるから本を読む。 途中で眠ってしまっている場合もあるが、それはそれでいい。私がコントロールできることではないから。 なぜ、この本を選んだのか? よく覚えていない。 図書館に予約しておいた本であった。 いつも忘れたころに、私のところに回ってくる。 ありがたいと思う。 ありがとうございます。 タイトルをみるとわかるけれども「デモクラシー」は「民主主義」のことである。 ”デモクラシー”と聞くと私は「大正デモクラシー」という言葉しか思い出せなかった。 それくらい私は勉強が苦手なのだ。 それに私にとって、民主主義は非常に幻想にすぎないのだが。 それは若いころも今も変わらない。 舞台は戦後の日本、「GHQが日本人に民主主義を教える」という実験をするために教師として選任された日系二世の男性教師と、実験に選ばれた四人の若い日本女性の物語である。 もう少し詳しい内容が知りたい方は公式のサイトを見ると、物語の全体像がつかめるのではなかろうか。 序盤、私にとってはとても読みづらく「あきらめて動物の本(小説ではない本)を読んじゃおうか」と放り出したくなったのだが、三分の一読んだ辺りから、その先が気になってきて結局さいごまで読んでしまった。 読了できて良かった! 私なりの感想、気づきをここに書こうと思う。 (他の人が注目しない点に目が行ってしまっていると思われるが、そこは気にしない。私は私であるから。どうしようもない。) ・人は栄養が足りてないと頭が回らない。 改めてそう思った。 この点に注目してしまうのは、私の虚弱体質があるからだが。 戦後の日本が時代背景にあり、集まった四人は日給が出るのと、食事が支給されることにより実験を引き受けたようだ。食料や服を調達するのに苦しい時代であったから、条件のいい職だったのだろう。後半部分の「第七章、罪と罰」は登場人物である美央子さんの日記形式で物語が描かれるのだが、栄養をとるようになって頭が回ってくるようになった、、、というような一文がある。 私は改めて、食事の大切さを思った。 戦争で何もかも無くなった日本人が各々で立ち上がるにはまず食事という当たり前の...

映画「魔法使いのおじいさん(1979年)」鑑賞

ずっと見たかった映画であった。 見ることが出来て、素直にうれしい。 私は佐藤忠男さんのことを知らなかった。 佐藤忠男さんは、有名な映画の評論家だ。 一年前だったか、二年前だったか、、、 佐藤忠男さんが絶賛していたインド映画の上映が無料であるということを知り、たまたまその日、用事で街に出てきていた私は、その会場へ足を運んだのであった。 その時上映された佐藤忠男さんセレクトのインド映画が非常に面白かった。 (秀逸な映画だったのに、タイトルは覚えていない。) このほかにもまだ、佐藤忠男さんが絶賛するインド映画があるとのこと。 その映画こそ『魔法使いのおじいさん』であった。 「いつか見たい。でもどこで見たらいいのか」 と思っていたが、、、、 私の住むF市はアジア映画の収集をしていたのだった。 市の上部の偉い人が変わってから、それも今おざなりになっているようであるが、そもそもF市は「アジア交流の拠点」を前面に押し出し町興ししていたので、その最盛期はアジア文化の収集に力を入れていた。その収集したフィルムが図書館に残っていたりする。 F市がアジア映画を収集していた当時、そのアジア映画を選んでくれていた方が、どうやら佐藤忠男さんだったようだ。(私も詳しくは知らないのだが) そんなご縁があって、佐藤さんセレクトのアジア映画が図書館で毎月上映されているのだが、今月は映画『佐藤忠男、映画の旅』公開に伴って、アジアの中でも南インドの映画が何本も上映されていた。 この映画は、そのうちの一つだった。 私は鑑賞後に、この映画の簡単な解説が載った紙をいただき読んだのだが、魔法使いのおじいさん役のおじいさんはプロの舞踏家なのだそうだ。 (映画「国宝」を思い出してしまった。俳優の田中泯さんも確か舞踏家である。) 私が映画を見て印象に残ったのはもちろん、おじいさんだった。 腹の底から出している響く声。 鈴を鳴らして歌う。 声は楽器なのである。 明らかにほかの登場人物とは違う何かを感じるそんな音だった。深くて重みを感じる音。 なるほど、プロの方であったか。 おじいさん以外はみんな素人だったらしい。村の子供たちのにぎやかで健やかな場面が自然なものであったとは!どこの国の子供たちも高い声をだしながら騒ぎ、遊び、勉強して育っていくのだな。学校から飛び出して、おじいさんに群がる子供たちも印象に残っている。 ただ私...

「40歳から食べても太らない方法」伊達友美(著)、読了。

 図書館の除籍図書としてブックトラックに置いてあったので、持ち帰り読んだ本である。 このところ、以前より増して体を気遣うような情報に敏感になってしまった。 歳をとってしまったからなぁ。 こういう栄養分野の情報も流行りがあるので、私としては自分が必要だと思った点だけ活用するようにしている。 ただ、著者は管理栄養士の資格もお持ちで、多くの女性の栄養指導をなさっているようだから、内容には安心を覚える。 感想というより自分のための備忘録として、ここに残しておく。 本能に従って食事をする(お腹が減っていないときは食べなくて良い。空腹も大事にする。) 体を温めるために肉やオメガ3(油)を摂る 自分の好みを探す(白米が好きなのか、玄米が好きなのか、など。食事は楽しんで) 発酵食品(味噌、納豆、イカの塩辛)を摂って、腸を整える。 遅延型アレルギー検査(検査結果にて遅延型アレルギーに該当する食品は、半年は控えてみる。) ケーキを選ぶときはフルーツやチョコ入りを選ぶ。ケーキと一緒にオメガ3を含むクルミを食べたり、抹茶や豆乳を一緒に摂ると良い。 チョコはカカオ70パーセント以上を選ぶ。 お菓子はクルミやピーナッツ、甘栗などを食べる。加工されたものは避ける。なるべく原型に近いものを食べる。 フルーツは種ごとたべられるもの(キウイ、イチゴ)や柑橘類(みかん、グレープフルーツなど) 食事の食べる順番、漬物、汁物、副菜、主菜、ごはん。まず生ものか、汁物から食べる。最初にごはんを食べないこと。 本の内容としては、栄養の面だけではなく、太ってきたパターンを見直すようなことも書いてあった。 例えば、ママ友の付き合いで太ってきたパターンの方は断る理由を2,3つくっておくなどのアドバイスが載っていた。 付き合いとは、、、難しいものだな。 「ケーキとなぜオメガ3のクルミを一緒に摂るのかな?」という疑問があったのだが、良質な油は糖をゆるやかに吸収させるようである。 私自身ケーキは殆ど食べないが、このところ二度ほど食べる機会があったので、気になってしまった。ただ出先で、用意したクルミを手元から取り出すのも不自然極まりないから、外食であったなら豆乳入りのカフェオレを飲む、抹茶を飲むなどの対策をとれると思った。 油に関しては、私は非常に気を付けていて、サラダにかける油が亜麻仁油である。著者が仰る通り、オメガ...

「スタンフォード式疲れない体」山田知正(著)、読了。

 このところ「呼吸」に注目している。 この本の存在をどうやって知ったのだろう。 「虚弱に生きる」という本に出てきたのかな? 私は図書館にこの本を予約していたことを忘れていた。 私は呼吸器が昔から弱いのだが「うまく呼吸ができているのか?」という疑問があった。ちいさいころ救急車で運ばれたとき、大きなガスボンベから管をとった吸入器をした記憶があって。 あれは酸素が入っていたのではなかろうか。 あの時、私は「普段できている呼吸ができない」ということを考えていた。 大晦日だった。 普段、普通に呼吸ができることがどんなにすごいか。 それは、あの時のおおきな発作時に考えた。 おとなになって、呼吸のことは特に気にせずにいた。 小さい時よりは体力がついたのであろう。 喘息発作が出ていてもよくわからずにいることが多かった(風邪をひいた時に、便乗するかのように発作がでているようであるが、デフォルトすぎて気が付いていないようである) 季節の変わり目になると、気を付けていても体調を崩す。 普通の人より気管支も細いであろう私は、呼吸がうまくできていないならば、尚更そこを正す必要がある。 呼吸とは当たり前にしているが、正しく出来ているだろうか?という疑問をあまり持たずに、今まで生きてきた。 私はどうやら呼吸を正しく出来ていないらしい。 この本を読んで、判明した!! 私は虚弱だ!普通の体力を持っている人が正しく呼吸していたら、もっといろいろなことが出来る時間が増えるだろうな。うらやましい!! 以下は、私が備忘録として抜粋した一覧になる。(ランダム) まだほかにも、いろいろと疲れない体つくりのノウハウは載っていたが、私が特に覚えておきたいものだけ綴っておく。 朝食は定時に摂る 睡眠時間も決める 最低7時間は眠る 朝食は抜かずにたべる(早食いは禁止) 朝食に甘いものは食べない(血糖値スパイクをさける) 味のする飲み物は一日一回のみ 腹八分の場合は間食をいれて、食事の回数を増やす(間食は果物を摂る) 水を一日6~8杯、飲む(1.5リットルくらい) IAP呼吸(腹圧呼吸)をする(一日最低1回、寝る前の2分間) カフェイン一日400mgまで(コーヒーだと4、5杯くらい) スマホは細切れに見る(長時間みると姿勢が崩れる) 「yet」「まだ~」。「~できない」と決めつけるのではなく「まだ、~できない」と...

「古代文字を解読していたら、研究に取り憑かれた話」大城道則、青木真兵、大山祐亮(著)、読了。

 二か月前だったか、エジプト展を見に行った。 私はF県F市で人生が終わるだろうから、エジプトに行くこともなかろう。 そう思って、ありがたくわが町に巡回してきた展示を見に行った。 その展示をみて、改めて不思議だったのが 「この昔の文字、どうやって解読したのだろう?」 ということであった。 同級生のお父さんが「あの文字、どうやってわかったのだろう。」といつだか私と同じ疑問をもっていたのを思い出しつつ。 あの頃の私は文字に対して、そんなに興味がなかったのだった。 たまたま図書館でこの本と出合った。 エジプト展へ行った後であった。 丁度、展示が会期中であったから、図書館もそれなりに選書して目立つように棚に、この本を置いてくださっていたのかもしれない。 司書さんたち、ありがとうございます。 この本は三章あって、三人の著者がそれぞれが古代文字に対する思いやどのように研究しているのかなどのエッセイになる。 エジプトの古代史がかかわるとどうやら肩書は「エジプト考古学者」のように思われるらしいのだが、それぞれが考古学だけではなく歴史や語学専門の研究者であり、ひとくくりに「考古学」といえない。それだけ「古代文字」となると特殊すぎて、私たちのような一般の者は、大雑把に知っている学問で分類してしまうようだ。 とにかく古代文字は語学とは限定できないし、考古学とも限定できないようだ。 この本を読むと、研究者とは探求心が強くてコツコツと辛抱強く勉強できる人でないと、出来ない職業だということがわかる。三人の研究者のただひたすら、そういうものが好きなのだという「愛」を感じた。 古代文字やエジプト学を学びたい人には、どういう進路をとればいいかの参考にもなるだろう。 そもそも、そういう進路は特殊かもしれないが、古代文字を読みたい若者がいるなら、この本は希望になると思う。(エジプト学の詳細は大学の諸事情で、日本国内の大学では学べないようだ。) 考古学分野をほとんど知らない私のような者が読んでも、その世界の一部(古代文字)を知って楽しくて面白い本であった。 この本の中でエジプトに関して知っている言葉は「ロゼッタストーン」くらいだったが。 ヒエログリフも出てきたが「聞いたことある」くらいの言葉で、勉強が苦手であった私はヒエログリフは何なのかすら覚えていないのだった。 本書の中に、エジプト観光の話なども...