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「40歳から食べても太らない方法」伊達友美(著)、読了。

 図書館の除籍図書としてブックトラックに置いてあったので、持ち帰り読んだ本である。 このところ、以前より増して体を気遣うような情報に敏感になってしまった。 歳をとってしまったからなぁ。 こういう栄養分野の情報も流行りがあるので、私としては自分が必要だと思った点だけ活用するようにしている。 ただ、著者は管理栄養士の資格もお持ちで、多くの女性の栄養指導をなさっているようだから、内容には安心を覚える。 感想というより自分のための備忘録として、ここに残しておく。 本能に従って食事をする(お腹が減っていないときは食べなくて良い。空腹も大事にする。) 体を温めるために肉やオメガ3(油)を摂る 自分の好みを探す(白米が好きなのか、玄米が好きなのか、など。食事は楽しんで) 発酵食品(味噌、納豆、イカの塩辛)を摂って、腸を整える。 遅延型アレルギー検査(検査結果にて遅延型アレルギーに該当する食品は、半年は控えてみる。) ケーキを選ぶときはフルーツやチョコ入りを選ぶ。ケーキと一緒にオメガ3を含むクルミを食べたり、抹茶や豆乳を一緒に摂ると良い。 チョコはカカオ70パーセント以上を選ぶ。 お菓子はクルミやピーナッツ、甘栗などを食べる。加工されたものは避ける。なるべく原型に近いものを食べる。 フルーツは種ごとたべられるもの(キウイ、イチゴ)や柑橘類(みかん、グレープフルーツなど) 食事の食べる順番、漬物、汁物、副菜、主菜、ごはん。まず生ものか、汁物から食べる。最初にごはんを食べないこと。 本の内容としては、栄養の面だけではなく、太ってきたパターンを見直すようなことも書いてあった。 例えば、ママ友の付き合いで太ってきたパターンの方は断る理由を2,3つくっておくなどのアドバイスが載っていた。 付き合いとは、、、難しいものだな。 「ケーキとなぜオメガ3のクルミを一緒に摂るのかな?」という疑問があったのだが、良質な油は糖をゆるやかに吸収させるようである。 私自身ケーキは殆ど食べないが、このところ二度ほど食べる機会があったので、気になってしまった。ただ出先で、用意したクルミを手元から取り出すのも不自然極まりないから、外食であったなら豆乳入りのカフェオレを飲む、抹茶を飲むなどの対策をとれると思った。 油に関しては、私は非常に気を付けていて、サラダにかける油が亜麻仁油である。著者が仰る通り、オメガ...

「スタンフォード式疲れない体」山田知正(著)、読了。

 このところ「呼吸」に注目している。 この本の存在をどうやって知ったのだろう。 「虚弱に生きる」という本に出てきたのかな? 私は図書館にこの本を予約していたことを忘れていた。 私は呼吸器が昔から弱いのだが「うまく呼吸ができているのか?」という疑問があった。ちいさいころ救急車で運ばれたとき、大きなガスボンベから管をとった吸入器をした記憶があって。 あれは酸素が入っていたのではなかろうか。 あの時、私は「普段できている呼吸ができない」ということを考えていた。 大晦日だった。 普段、普通に呼吸ができることがどんなにすごいか。 それは、あの時のおおきな発作時に考えた。 おとなになって、呼吸のことは特に気にせずにいた。 小さい時よりは体力がついたのであろう。 発作が出ていてもよくわからずにいることが多かった(風邪をひいた時に、便乗するかのように発作がでているようであるが、デフォルトすぎて気が付いていないようである) 季節の変わり目になると、気を付けていても体調を崩す。 普通の人より気管支も細いであろう私は、呼吸がうまくできていないならば尚更、そこを正す必要がある。 呼吸とは当たり前にしているが、正しく出来ているだろうか?という疑問をあまり持たずに、今まで生きてきた。 私はどうやら呼吸を正しく出来ていないらしい。 この本を読んで、判明した!! 私は虚弱だ!普通の体力を持っている人が正しく呼吸していたら、もっといろいろなことが出来る時間が増えるだろうな。うらやましい!! 以下は、私が備忘録として抜粋した一覧になる。(ランダム) まだほかにも、いろいろと疲れない体つくりのノウハウは載っていたが、私が特に覚えておきたいものだけ綴っておく。 朝食は定時に摂る 睡眠時間も決める 最低7時間は眠る 朝食は抜かずにたべる(早食いは禁止) 朝食に甘いものは食べない(血糖値スパイクをさける) 味のする飲み物は一日一回のみ 腹八分の場合は間食をいれて、食事の回数を増やす(間食は果物を摂る) 水を一日6~8杯、飲む(1.5リットルくらい) IAP呼吸(腹圧呼吸)をする(一日最低1回、寝る前の2分間) カフェイン一日400mgまで(コーヒーだと4、5杯くらい) スマホは細切れに見る(長時間みると姿勢が崩れる) 「yet」「まだ~」。「~できない」と決めつけるのではなく「まだ、~できない」と考え...

「古代文字を解読していたら、研究に取り憑かれた話」大城道則、青木真兵、大山祐亮(著)、読了。

 二か月前だったか、エジプト展を見に行った。 私はF県F市で人生が終わるだろうから、エジプトに行くこともなかろう。 そう思って、ありがたくわが町に巡回してきた展示を見に行った。 その展示をみて、改めて不思議だったのが 「この昔の文字、どうやって解読したのだろう?」 ということであった。 同級生のお父さんが「あの文字、どうやってわかったのだろう。」といつだか私と同じ疑問をもっていたのを思い出しつつ。 あの頃の私は文字に対して、そんなに興味がなかったのだった。 たまたま図書館でこの本と出合った。 エジプト展へ行った後であった。 丁度、展示が会期中であったから、図書館もそれなりに選書して目立つように棚に、この本を置いてくださっていたのかもしれない。 司書さんたち、ありがとうございます。 この本は三章あって、三人の著者がそれぞれが古代文字に対する思いやどのように研究しているのかなどのエッセイになる。 エジプトの古代史がかかわるとどうやら肩書は「エジプト考古学者」のように思われるらしいのだが、それぞれが考古学だけではなく歴史や語学専門の研究者であり、ひとくくりに「考古学」といえない。それだけ「古代文字」となると特殊すぎて、私たちのような一般の者は、大雑把に知っている学問で分類してしまうようだ。 とにかく古代文字は語学とは限定できないし、考古学とも限定できないようだ。 この本を読むと、研究者とは探求心が強くてコツコツと辛抱強く勉強できる人でないと、出来ない職業だということがわかる。三人の研究者のただひたすら、そういうものが好きなのだという「愛」を感じた。 古代文字やエジプト学を学びたい人には、どういう進路をとればいいかの参考にもなるだろう。 そもそも、そういう進路は特殊かもしれないが、古代文字を読みたい若者がいるなら、この本は希望になると思う。(エジプト学の詳細は大学の諸事情で、日本国内の大学では学べないようだ。) 考古学分野をほとんど知らない私のような者が読んでも、その世界の一部(古代文字)を知って楽しくて面白い本であった。 この本の中でエジプトに関して知っている言葉は「ロゼッタストーン」くらいだったが。 ヒエログリフも出てきたが「聞いたことある」くらいの言葉で、勉強が苦手であった私はヒエログリフは何なのかすら覚えていないのだった。 本書の中に、エジプト観光の話なども...

「虚弱に生きる」絶対に終電を逃さない女(著)、読了。

体が弱いこと。 他人事ではないので、何とも言えない。 この本の「虚弱」という表現が適切なのかも考えてみたが。 そんなことどうでもいいか。 わたしはこの著者と違って、喘息・アレルギー等の持病をもっているので、ちいさなころからいちいち体調をくずしていた。 小学校の下校時に小児科に習い事のように通っていた時期もあったようだ。 私はすっかり忘れていたが、実家より持ち帰った自身の荷物整理をしていたら学童保育の連絡帳が出てきた。連絡帳に学童保育の先生と母のやり取りが残っていた。 「帰りに小児科へ寄らせてください」とか 「熱があります」とか 「今日はおなかが痛いと言っています」とか とにかく、病気は常に私のそばにいた。 自分は自分が「弱い」とあまり自覚することなく生きていたと思う。 初めからずっとそうだったのと周りが優しかったから、自覚がなかったのだと思う。 だから「自分が周りと同じようなことが出来ない」と認めるのに時間がひどくかかった。 ちいさなころは「大きくなったら出来るのではないか」という期待がすこしだけあった。 期待だけで終わった。 著者と同じように努力もした。 私も軽い有酸素運動や筋トレなども試した。続けても、体調を崩すことは変わらなかった。 運動と食事を整えるのは基本で、これが崩れたらもっと体調が悪くなる。それだけのことであり、基本をやってもやらなくても体調を崩すのだということがわかった。 この著者はとても頭がいい人だから「もう自分は働けない」ということを若い時から自覚していた。それに恵まれている人だと思った。 弱くとも食べていける職に就いたのだから。 今という時代だからこそ、家でできる仕事が多いということも運がよかったのではなかろうか。(コロナ禍以降、仕事就業体制が変化したのもあると思う) 私は体を壊しては仕事を辞めるという繰り返しであった。 奨学金を2件抱えて。 返済をするために、とにかく働くしかなく、ボーナスが出るような勤め方ができなかったので、貯金がうまくできなかった。返済に人生の半分の時間を使ったと思う。 振り返ることもつらいので、私のことは、ここまでにしておく。 体が弱く、まだお若い人はこの本を読んで、生きる方法を探るといいと思う。生きていくヒントがあるだろう。 ただ、この著者は運動などを短時間でも出来るので、この方より虚弱の方は落ち込むと思う。 私がそう...

あの橋の向こう側

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いつだか近所の川沿いをずっと行くと、その先はどうなっているのか知りたくて、ひたすらまっすぐ歩いたことがあった。 それは海岸に出たのだが。 その後、その海岸沿いを行けるところまで歩いたことがあった。 すると一番端で道が途切れた。 都市高速があって、その先の向こう側も海があるはずだが。 でも、建物らしきものも並んでいるようだが。 何があるのか?しらなかった。 その海岸沿いの端には橋が架かっている。 橋の向こう側が知りたいが。 都市高速の高架があって、向こう側がよく見えない。 ほんの少し歩けばいいだけなのだが、そこへ行く気力がなかった。 確かめずに時が過ぎた。 そこに行く何か目的が欲しかった。 その目的ができた。 どうやら調べると、そこは漁港になっているようであった。 その漁港で週末に市場が開かれているらしい。 「市場へ行こう!」 私は知らないことが多いことに驚いた。 ここに引っ越してきて16年たったけれど。 市場があることをどうやって知ったかは忘れたが。 その漁港に市場あることは聞いていた。 ただ、海岸沿いの一番端の向こう側だということを知らなかった。 橋の向こう側、都市高速の高架近くに、その小さな漁港があった。 漁師が乗る小さな船が並んだそのさきに倉庫のような屋根の建物があるのが見えた。 そこが市場らしい。 その建物の屋根の下に長い簡易テーブルがいくつかあった。テーブル前に、それぞれ何を販売するのか手書きでかかれた紙が貼られており、各々3、4人の列ができていた。 シャコ、アナゴ、タコ、、、張り紙のないテーブルもあったが、その前にも小さな列ができていた。何も書かれていないテーブルでは何が販売されるのだろう。 私はシャコを買う列に並んだ。 「アナゴの刺身」が気になったけれど、今日は懐かしくて「シャコ」と書いてある手書きの文字を見て、シャコに決めた。 330グラム、千円。 ほんとうに小さな漁港だった。 私が記憶の中で知っている漁港は大きな漁港であったから、それと比較してしまう。人によっては、ここも大きな漁港なのかもしれない。 小さな子供たちが両親と並んでいるのを見かけた。こどもは並んでいるのがたいくつなのであろう。走りだしたり、地面に白い石で絵を描いていた。 ここの漁港のご近所の方々なのかもしれない。 車でやってくる人と歩いてやってきた人がいたから。 私が小さいころ住んでい...

「社会は「私」をどうかたちつくるのか」牧野智和(著)、読了。

世の中には自己啓発本があふれている。 その大抵は、元祖の考え方があって、そこから引っ張ってきたネタを大きく長くかいてある。要はページ数を増やして「本」という形にしたもの が多かったりする。 形だけのものに引っかかってしまう時、私には多々あった。 それは自己啓発本に限らず、どの分野の書籍もそうだ。 わたしはどちらかというと元祖を知りたい派である。 (そこを判断するのに、私は目次と引用、最後あたりにある参考文献の一覧などを見て判断する。) この本は、自己啓発本もかなり読まれている社会学者の方が書いた本だ。 なので、元祖がたくさん載っている。 元祖を一冊一冊たどって読むのは難しいが、こういう頭の良いひとがざっくり説明しながら書いてくださっているので、怪しい自己啓発本を読もうとしている人は、この本を読むといい。 自己(「私」)についての考えは、個人個人で持つことがベストであるが、それはなかなか難しい。 それぞれ身を置いている環境が違うからな。 そして、この本にもある通り、生き方の選択肢が増えたし、同じ職業にずっと就くという社会ではなくなったからな。(それはSNSの発達も大きいだろうが、労働法が変わったことも一因だと思う。私個人の意見だが、会社が保障していた部分を国が保障する制度を作って補う必要があると思う。) ただ、まだ「私とはなにか」と悩んでいる人は幸せなのだと思う。 悩んだり考えたりできる環境があるということは、まだ幸せなのだ。 もちろん、こうして考える時間がある私もそうだ。 「私」ってなんだろう?と誰しも一度は考えたことがあるのではなかろうか。哲学者や社会学者、精神科医などの考え方の説明があり、時代とともに変遷していく環境や考え方など、おもしろく読むことが出来た。 色々な学者さんたちの考え方を著者の考えも交えながらの内容であったが、終盤で印象に残ったのが、カナダの社会学者アーサー・フランク。 (『傷ついた物語の語り手ー身体・病い・倫理』) 重い病にかかったとき、人々はそれまでの人生における「目的地や海図」を失い、「難破」することになる。つまり、以前はこういうことがあって、今の自分はこうで、そしてこうなっていくという海図(自己物語)を、重い病いによってそれまで同様には保ち続けることができなくなり、違う考え方による新しい海図を書き直さねばならなくなるのだ、と。 私は今まさ...

自分の後始末の備忘録(1)独身の身元保証はどうするか(えにしの会)

歩いて買い物に行くこと。 自分で食事を作ること。 部屋の掃除をすること。 洗濯をすること。 お風呂に入る。 お手洗いに行く。 こういった「あたりまえ」のことは、当たり前ではないことを私はなんとなく小さなころから知っていた。 他人より体力がないからだ。 小さなころは、家族が一緒に住んでいたからなんとかなっていたことも、大きくなり一人になると、誰かが手助けしてくれていた部分を全部ひとりでやることになる。 歩けない日は買い出しにも病院にもいけないのだ。 ただ歩いて買い物へ行くということが、どんなにすごいことか、私は知っている。 仕事がなくなっても「生活」は死ぬまで続く。 体の具合が悪くなると、いつもそれを思っていた。 今住んでいるマンションは、築年数が古いマンションだ。 私の住んでいる県の都心は、古い建物の建て替えが進んでいる。 数年前に街にあったギャラリーのビルは、私が住んでいるマンションと同じくらいの築年数であった。 私は、いつまでここに住むことができるか、そして、いつまで生きていられるのか、わからない。 このごろ、身元保証などをしてくれる会があるのを知った。 これは私の先輩から聞いた話であるが、先輩のご親戚がガンを患って、親兄弟も亡くなった後だったため身元保証人がおらず、入院なども断られて大変だったそうなのだ。 その会に入会後は、その会の方々が手厚く買い物や入院の手続き等をしてくださったとのことであった。 最初は「宗教団体なのかな??」と思ったのだが、身元保証などの悩みを話すと役所の人もここを紹介するようであるから、そこまで疑うような団体でもないのであろう。 調べると一般社団法人であった。 「えにしの会」という。 私は、今後、引っ越す機会ができたとしても身元保証人をどうするか?と考えていたのだが、今は身元の保証してくれる会社を不動産が紹介してくれるようであるし、引っ越しに関しては大丈夫かもしれない。 えにしの会は、全国のわりと都心に事業所があるようである。 病院で「もし私が自身の食事をすら作れなくなったらどうしたらいいか」と主治医に聞いておいた。 その場合、もちろん入院になる。 退院後、やはり生活ができなくなった時のこと、その先のことも聞いておいた。 入院した病院から紹介された施設に行くことになるだろうということ。 とにかく、身元保証をしていただくためにお金を貯めて...