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8月, 2025の投稿を表示しています

小磯良平展 幻の名作《日本髪の娘》、鑑賞

私にとって、小磯良平さんは 「絵にしにくい構図を描く人」である。 いま、私はコツコツとパースを勉強している。 もちろん独学だ。 テキストは普通に書店に販売されている本だ。 買うには高い本であったが、丸善がビニールをかけずに内容を見れるように書架に置いてあったので、内容を確かめてから購入した。 三点透視図はなかなか描く機会がない構図だと思っている。 漫画やアニメならよく見かける構図ではあるが、絵画はあまり見かけない。 見かけたとしても「良い作品か?」と見るにはとても難しい。 自然な感じがしないからだ。 人物のパーツの中にも三点透視図が出てくる。例えば、足を奥にひっこめているなど。椅子に座っている人などの足はこれだと思う。(私はアカデミックの教育を受けていないのではっきりとは言えないが) この構図を描くのは画力がいる。 この目で、自然に見えてしまう三点透視図を見たかった。 家計をやりくりするのに、毎月うなってしまう私ではあるが、ここはわが町に展示が来た時に見ておかないと、多分この先、もう見ることはないだろう。 会期終了が近いせいもあり、図録は売り切れていた。 2200円か、図録にしてはお安いのではないか。 欲しかった。 でも、仕方ない。 割合としては人物画中心で、静物画が少し。という内容の展示であった。 「ああ!この構図は描くのがむずかしい」 という作品がいくつもあった。 《和服の婦人像》などもその一つだ。身を乗り出しているご婦人のからだ手前と奥に行く、その描き分けが難しいと思う。 そして、やはりプロでいらっしゃると思った。 私は写実作品の鑑賞が苦手だと思う。。 生々しすぎるからだ。 写実作品でも苦手じゃない作品も、もちろんある。 写実作品の中でも見て疲れる作品に、たまに出会うことがある。その作品は、未熟だと思う。自然にこちらに入ってこないからだ。写実だが、写実の度がこえると生々しくて現実っぽくないから。つまり、不自然に見えるのだ。 小磯良平さんの作品はそうではなかった。 生々しくなる手前で止めてあり、全体がギラギラとしてくどくない、しっかり強く描くところと抜いて描くところ、両方のバランスがとれている。 私のようなアマチュアであると、それがうまくできていないことが多い。 だから見る側として、見るのに疲れる作品になりがちになってしまうが、プロは違う。 光の入り方も嘘を描い...

「美人」柘植伊佐夫(著)、読了。

タイトルだけ見たら、小説のようだが。 小説ではない。 この本も、何となくタイトルが気になって予約を入れて借りた本だ。 表紙はグレイのベタで、白い文字で左上に「美人 Bijin」とある。 右上に細いフォントで著者の名前「柘植伊佐夫」とある。 余白を存分に使った装丁だ。 こういう装丁デザイン大好きなのだ。 図書館で借りた本なので、分類番号を見てみる。 小説はたいてい「913」 これは「778」 7分類は芸術の分野となる。 著者が関わった仕事を見ると、どの人も知っているドラマや映画ではなかろうか。 「おくりびと」 「龍馬伝」 「どうする家康」 「翔んで埼玉」 「シン・ゴジラ」 「岸辺露伴は動かない」 などなど、、、これだけではない。240以上の物語に関わってきた方である。 何を生業にしている人なのかというと、巻末を見ると肩書きが多くある方だ。 メイクやヘアメイク、衣装など。 こういう言葉を並べると、おのずと「ファッション関係の人」というイメージが掴めるのではなかろうか。 巻末の紹介による肩書きであると「人物デザイナー」ということだった。 物語に合う登場人物の衣装や髪型をデザインしていくお仕事をなさっていらっしゃるのだった。いや、もっと広範囲に及ぶ。その舞台の素材だったり、テクスチャだったり。全体の画だったり。 とにかく、著者はこの肩書きの第一人者らしい。 ドラマ「龍馬伝」からついた肩書きらしいので、最近だと思う。 映画やドラマの世界を私は詳しく知らないが、多くの方々で制作するものだから色々と分業だったのだろう。 本来ヘアとメイクが一緒で一人で担っていいはずのところ、今までは別だったり。物語が土台にある限り、本来、見た目を左右するものは別々のデザインであっていいはずがない。 そこを統一させる部分を担っているの仕事が「人物デザイナー」らしい。 その全体画のテクスチャや色、登場人物のキャラクターや服装などの統一感を。 この本は「美人」をテーマにして書かれた本になる。 著者はもともと美容師の職からスタートして、ヘアメイク、それからファッションなど自分が人生に持つテーマ、やるべきことを思っていることを広げていったようだ。 「美人」をテーマにこんなに分厚い本は、何と読み応えのある。 読むのに時間がかかった。 著者は「美しさとは何か」「美人とは何か」について、外見や内面、日本という国、...

なくなってしまった教科?、美術

私は、以前よりSNSを見ることが少なくなった。 ただ単に「疲れてしまうから」という理由なのだ。 デフォルトで倒れていることの多い私がSNSに時間を使ってしまうと、絵を描く時間がなくなるのだった。 そもそも心も体も弱い私には向いていないツールなのかもしれない。 SNSを見ていると 「みんな、絵を描くのが好きなんだな」 とよく思う。 アマチュアからプロまで、色々と流れてきて驚く。 絵を描くのが好きな人が多くて嬉しい。 私もアマチュアではあるが、絵を描くことが大好きだから。 このところ、驚いたことがあった。 それは「中学校で美術の教科がない」ということだった。 なぜかというと、先生がいないのだそうだ。 物理的にいないので、本当に授業自体がないらしい。 何だそれ!!!!! 美術で腹はふくれないが、ないと困る。 文化や美術が後世まで残っているという事実を見るとそれがわかるのではなかろうか。 「美術の先生になりたい!」という環境が私の愛する県にはないのか、、、。 私が学校を卒業する頃は、教師という職業の競争率が高くて、なりたくてもなれない人が多かったと記憶しているが、、、。それは教科によるのか?? 今はなりたい人がいないのかもしれない。 私は中学校の現場に携わっているものではないから、仔細は何とも言えないが。 多感な時期に、美術という教科が学べないのはいかがなものか。 最近、それを知って、ショックだった。 AIが色々作ってくれる時代にはなった。 「それでいい」という人も多いのかもしれぬ。 何かしらを生み出すというのは、その過程も面白いのだ。 AI任せに作るものはその「過程」を省いた状態だと思う。 動物として人間は退化の道をたどっているように私は見えるのだが、どうだろうか。 若い時に「美術」というものに関わるという道を提示してくれる機会がないというのは、ちょっといかがなものか、、、。 同じ国の中で、教育に差が出てしまうのは悲しく思う。ましてや、義務教育なのだ。 中学生の年齢の頃は、ちょうど人格を作っていく時期になる。 より多くのものに触れて、自分の中に残すか残さないかふるいをかける時期でもある。 選択肢は多い方がいいのだ。 何とかできないものかな、、 私は美術という教科が好きだったが、どうなのだろう。 世の中的には「なくてもいい教科」という立ち位置なのだろうか。受験で美術が必要に...

炭治郎の技とキャベツのせん切り(映画「鬼滅の刃 無限城 第一章」の感想)

私は何度も「流行にうとい」と周りに伝えてきた。 ただ今年の私は違う!!違うぞ!! 世間の流行にちょっと乗ってみようと思った。 「あまり自分が興味がなかったことにもチャレンジしてみよう。」そう思ったのだ。 歳をとったのだろう。 やってみたことないことしておいた方が良い、そういう危機感がある。 人生は短い。(想定外で少し長くなったけど) 博物館の展示「『 鬼滅の刃』 柱展 」を見たのがきっかけで 映画「『鬼滅の刃』 無限城編 第1章」を見に行った。 「柱展」の展示を博物館で見てから 漫画1〜23巻を読み アニメを少し見て 映画を見た(←今、ここ) という流れで映画を見てきた。 世間の方々の何をかりたてて、連載が終わってもなぜ熱が冷めずにいるのか。 ずっと気になっていた。 もう少し以前であると、映画「『鬼滅の刃』 無限列車編」も話題になっていたが。 私は、漫画を先に読んでしまっているので結末は知っている。 ただ2回ほどしか繰り返し読んでいないので、部分部分の詳細を覚えていない。 だから、気持ち新たに映画を見ることができた。 主人公の炭治郎が鬼(鬼の名は「あかざ」と言う)に向かうときに、ぐるぐる考えていたことを見て、私は「キャベツのせん切り」を思い出していた。 私は以前、元日本料理人から「キャベツのせん切り」を教えていただいたことがあった。 「包丁をまな板に押し付けるような力の入れ方をしてはいけない。包丁や腕にいかに力を入れずに切るかを学びなさい。そうすれば、長時間切っていられる。余計な力をかける必要はないのだから。」 確かに肘を支点として腕を動かすと力を入れずに、包丁の切れ味だけでキャベツをずっと切っていられるのだった。 ただし、これは包丁の切れ味が良くないとダメだ。 包丁の手入れをかかさずにする必要がある。 道具の手入れの大切さ。 そして、いつもいつも全力を出していては最後まで乗り切れない(戦えない)こと。 それと、肘を支点にするという技術が必要になる。正しい姿勢でキャベツを切ると本当に楽に切れてしまうのだ。ただ、これは天才でない限り、ひたすら何度も練習が必要となる。 炭治郎が考えていたこととキャベツのせん切りは同じではなかろうか。 私は勝手にそんなこと思いながら見ていた。 『鬼滅の刃』の物語の良さを周りはどう思っているのか知りたくて、たまに会う機会のある美術作家さんた...

「落雷と祝福」岡本真帆(著)、読了。

短歌って何だったかな? そんな私の知識のなさから読み始めた。 学校で習ったはずなのに、五七五の俳句しか思い浮かばない。 それで検索してみたら、、、 短歌とは五七五七七。 「私にはいまいち、リズムが取れないあれか!」と思い出した。 五七五に七七が追加されるだけで、なぜ苦手意識を持ってしまうのかは謎だが、私はあれが苦手であった。まともに作れない。 ただ誰かが作った歌を読むのは好きだ。 短歌の本だと、穂村弘さんや笹井宏之さんは時々読んだりしたことがあった。 短い言葉の中にキラリと光る言葉を閉じ込めねばならない。 それが俳句や短歌だと思う。 体調が芳しくなく長い物語が読めない時、短歌や俳句を読むと私に小さな物語を見せてくれる。 この本はタイトルがなんとなく好きで図書館から借りた本だ。 サブタイトルとして「「好き」に生かされる短歌とエッセイ」と書いてあったのに、借りてから気がついた。 表紙の絵も好きだ。 表紙は水色のベタに、ぶしゅっとした白いワンコのお顔である。 多分、クマではないと思う。 著者の好きなものは「犬」だから。 著者の好きな18のものに対して、短歌とそのエッセイが綴られた本だった。 暑い午後。 台所の床が冷たかったから、そこを陣取って。 一日で読んだ。 空気が暑すぎて、とぎれとぎれでしか言葉も出てこぬ。 夏は苦手だ。 「PUIPUIモルカー」 「シン・ゴジラ」 『チェンソーマン』 「ハチミツとクローバー」 『女の園の星』 「RRR」 グミ(お菓子) 花を買うこと 「THE FIRST SLAM DUNK」 犬 『スキップとローファー』 ぬいぐるみ 『ゴールデンカムイ』 『ちいかわ(なんか小さくてかわいいやつ)』 酒 短歌 スピッツ 『A子さんの恋人』 こうして著者が選んだ好きなものを並べてみてみると、私と趣味が似ているかもしれない。 私が読んだことない漫画と見たことがない映画もあるけれど。 どんな本も目次をみると、どんな方がこの本を書いたか、察することができるのではなかろうか。 私はこのタイトルを見た時、ある漫画を思い出していた。 友人が持っていた漫画で、ドラマにもなっていた。 よしながふみさんの「西洋骨董洋菓子店」。 元ボクサーの神田くんがケーキを食べて、美味しさのあまり衝撃を受けるシーンがある。 その時の音が落雷だった。 それを思い出した。 漫画っていいな。そ...