投稿

1月, 2022の投稿を表示しています

「モノが減ると心が潤う 簡単「断捨離」生活」やましたひでこ(著)、読了。

片付けをしたくなって、図書館の書架に断捨離の本を見つけた。 断捨離の本は過去に一冊しか読んでいない。 改めて”断捨離”と名がつく本を読んでみた。 片付けに関する本は数冊よんだが、それぞれの考え方がある。 「私はミニマリストではない」とおっしゃっていたやましたひでこさんの考え方がわかる本だった。 自分が楽しいと思う空間を作って、その中で生活する。 そのための断捨離なのだと。 確かに読んでいて、真似したくなるような素敵な片付け方であった。 物へ対する愛着やリスペクトを感じる。  いつものごとく、箇条書きで私の個人的な備忘録とする。 台ふきはいらない(キッチンペーパー、使い捨てタオルを使うと管理が簡単) 鍋は見てくれで選ぶ(自分が美しいと思うものを買う) 炊飯器とレンジの断捨離 ランチョンマットで演出する(おぼんでも可。自分が食べたいものをよそおう) 普段着こそ真剣に選ぶ(なりたい私の服に挑戦しよう!) シーツは三日に一度洗濯する(布団は三年に一度買い替えが理想) 緑や花は絶やさない シャンプー石鹸類はその都度もちこむ 年末の大掃除はしない(普段から片づけておくから) 書斎の机はダイニングテーブルを使用している(大きいから使いやすい!) ペン立てはオブジェとしても楽しいものを(例えばマグカップなど) バッグは毎晩呼吸させる(カバンの中身はすべて籠にだして、一日を振り返る) A5サイズノートをかばんに入れて持ち歩いている(自分が思いついたことなどを書く。用事が済んだら破って捨てる。 災害用備蓄は水2リットルを12本のみ(それも使いながら巡回させている) 上記は私の個人的な抜粋である。このほかにも、本書には素敵なことがたくさん書かれている。 二時間あれば読めるので、断捨離提唱者のやましたひでこさんの考え方が気になる方は読むといいです。 うちの家には、テレビがないのだが、やましたひでこさんの家にもなかったらしい。 ただやましたさんはテレビ出演などをされるようになってから、慌ててテレビを買いに行ったとのことだった。 私もシャンプー、メイク落とし・洗顔類などは、入浴する都度もちこむようにしている。それは禅宗のお坊さまの本(書名は覚えていない)を読んだときに、お坊さま各々が石鹸などを持ち込むようにしているとのことが書かれていて、そうするとお風呂場が汚れないとのことだったので、...

私とチューリップ(命の力強さ)

イメージ
チューリップが私の気力をもう一度、この世に引き戻してくれた。 年末年始は、魂が抜けた様に暮らしていた私だった。 年始から風邪をひき、寝込んでいた。 年末から気持ちが落ち込んでいたのをなんとか立て直そうとしていたが、私が悩んでも解決しないことを考え続け、止まらず、うなされた。 「芸術の価値観」について考えていた。 まだまだ、幼い頃からの環境や教育からの先入観があるせいか、芸術をお金の基準で見ることに抵抗がある。日本というお国柄もあるかもしれない。 私は、お金が悪いものだとは思っていない。 描いてきた絵をお金という基準で価値を見出すことが堪らなく陰気にさせた。 私が描いてきた絵は、きちんとしたカンバスではないのだ。段ボールだとか、処分するために崩した棚の板だとか。 誰かに向けて描いた絵が少ないのだった。それは自分の楽しみだけのために描いた絵たちだからだ。 何もかもが面倒になって、安易に「死にたい」と思った。 風邪で体力が落ちているせいもあるだろう。 それに、栄養が足りてないのだろう。 私が「死にたい」と思う時は大抵、栄養が偏っている時だった。単純なのである。 「死にたい」と思えるうちは、まだエネルギーがある。 それで結局「大丈夫」という結論が出て、生きているのだった。 死ぬのもエネルギーがいる。そう、どちらにしろ、エネルギーがいるなら生きようと思うのだった。非常に単純なのである。 考えたり、死にたいと思う気持ちがまだあるうちは、私にはエネルギーがあるのだ。 何も考えない、何もしようとしない、死にたいとも思わない。 私には、その時が一番、本当に「死」に近いと言える。 久しぶりに買い出しに出掛けた帰り道だった。 近所に個室の美容室ができたらしい。店の前に誰かからのお祝いであろう、花のスタンドがあった。 店先に飾られた花がなくなればなくなるほど、商売の先行きが良いのだと聞いたことがある。私が通った時はほとんど花がなかった。 萎れてうなだれている赤いチューリップが目に入った。 チューリップはだらんとしていた。 今の自分の様に見えたのだった。 私は、そっとそのチューリップをスタンドから引き抜いて、掌にのせて持ち帰った。 掌にのせないと、首がだらんとしてちぎれてしまいそうだったからだ。 家に着くとそのチューリップを最近空になったジャムの瓶を洗って水を入れ、それにさした。さしたと言う...

人では癒されないという事

 人生の師匠がひどく悲しいオーラを放っていた時期があった。 それは私でいうと「話しかけるな」というオーラを放っているのと同じで。 表向きはわからないようにしていたようであったが、私は師匠を長くみているので、なんとなく敏感に感じ取ってしまったのだった。 師匠がそういうものを表に出さない技術を目にしながらも、しんどいのがどことなく伝わってくるのであった。 私は、人の何かに敏感だった。 いつも周りに気を配るような、そういう環境で育ったからかもしれない。 いつだか、「周りに鈍感すぎる」と言われた時期もあった。 それは鈍感のようなそぶりを見せていたからだった、私の思惑通りに周囲には見えていたのだ。 ただ、それとは裏腹にやはり頭のどこかで周りをみていたのだった。 師匠はポロリと、抱えていた何かをこぼす時がある。 しんどくて仕方ないのだろうと思う。 大抵、私も師匠も悩むことといえば、人間関係のことであった。 生きている限り、それはつきまとうであろう。 人は人を傷つけていないと思って見せる態度も、私の世界ではその奥を見てしまって、その人の本質とか理不尽さをそこに見ると、もう救われない時がある。 「人から傷つけられたその痛みは、人で癒されることはない。」 師匠はそう言っていた。 頭では分かっていた。人とは痛みを分かち合えないことも。理解していた気になっていたのだと思う。 最近、師匠の言っていたことがよくわかるようになってしまった。 人より多く俯瞰してものを見れるということは、長所でもあるが、短所でもある。 ものの見方の選択を多く持つことはいいことではあるが。 その考え方の一つによって、傷つけられたことをうまく昇華しようとするが、それは神様くらいではないのか、できるのは。 悲しい時は悲しい。 傷ついた時は傷ついて、癒えるまで時間がかかるのが人間ではないだろうか。 昨日、鴨が寒空の中、体に顔を埋めて、川の干からびた場所で寝ていた。 太陽に体の茶色がキラキラと光り、ふっくらとしたその毛をよりふかふかと暖かそうに見せていた。 私のあんな毛があれば、自分の体に顔を埋めてみたい。 つい立ち止まって、小さなメモにクロッキーした。 人では癒されないことは、動物や風景を見て癒す。 そうやってきた。 時間がかかりそうである。 芸術の価値とか、文化の価値とか。私が考えなくてもいいことを考えてしまう...

今日のデジタルイラスト(第五人格:悪夢)途中02

イメージ
#第五人格イラスト #悪夢  #procreate  #デジタルイラスト  

残しておきたいもの

 世界で最初の絵は、戦争に行ってしまう恋人、去っていくその恋人の壁に映った影を残そうとその影をたどって描いたものがそうなのだとか。 「民藝」という冊子で、そのようなエッセイを読んだ。 残しておきたいと思うものがあるのだろうか。 今の私にはない。 親類に頼まれていたツイッターのアイコンを夜中に作成する我。 「ヘッダーは作らなくていいの?」 「ヘッダーって何?」 そんな訳で、2022年の制作は、アイコンとヘッダー作りから始まった。 でき上がるかどうか、わからない。 アイコンは作ろうと思うが、何しろ気力が日が経つにつれて失せていく。 誰かがいてくれてなんとか気持ちを奮い立たせたが、今月は当分寝込むのかな。 人をどう信じたらいいのだろう。 どんな風にお金を稼いだらいいのだろう。 私が社会に貢献できることってなんだろう。 「後ろめたさは持たないで、生活しなさいよ」 と”人生の師匠”が声をかけてくださった。 どうやって立ち直ったらいいのか、わからなくなった。 「希望がない時はどうするのだろうなぁ」 「希望を作ればいいじゃない。」 あっさりと「作ったら良い」と、若いその人が潔く言ってくれた。 希望すら作れば良いのか、単純に。 ないものは作ってきた私だ。 とりあえず、希望を作ろうか。 希望も、残しておきたいものも、作れば良いのだね。 シンプルだ。