「猫を棄てる 父親について語るとき」村上春樹(著)、読了
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猫を捨てた話は、母から聞いたことがある。
母の母、つまり私から見ると祖母が、、、海に猫を捨てに行ったこと。
そんな話を聞いた記憶が私にはある。
猫はいつの間にか増えて、困っていたらしい。
村上春樹さんの思い出のように、捨てた猫が家に帰ってきてくれたらホッとする話だが、祖母は容赦なかった。
目の見えぬ生まれたての子猫を海に捨てたらしい。
あまりにも衝撃すぎて、その行為を祖母がやったのかどうかというのを私ははっきり覚えておらず「漁村ではよくやること」という話の締めくくりだけが頭に残っている。
祖母がやったといことにしたくなかった私がいる。
小学生の私の頭では処理できない話だったからだろう。今でも、それを聞いたときの衝撃は思い出せる。
真実なのかどうか、わからない。漁村だからなのか、祖母だからだったのか。
真実は母が知っているだろうが、母はもう認知症で聞いても覚えているかわからない。
私の母も口減らしに親戚の家に奉公に出されていたようで、いつも当時の親戚の酷い仕打ちを話で聞いた。母の傷は深かったのだろう。何かの折に必ず、その話をする。
何度も何度も。
その当時の私は、ただの「母の過去」として話を聞いていたが、村上春樹さんのこの本を読んで見方が少し変わった。
母も戦争によって人生が変わってしまった被害者の一人なのだと。
そんな風に思えた。
それはごく最近のニュースの影響もあるだろう。
母は戦争が始まる前までは、結構良い家のお嬢様だったようだ。高そうな着物を着ていた写真も見せてもらったし、当時、母の父(祖父)は仕事から帰る折には高いお菓子を土産に帰ってきていたようだから。
しかし、戦争が始まってから、母は親戚の家を転々と奉公するしかなくなり、小学校もろくに通えず、中学校には行っていない。
私が知る母は履歴書も書けない。
人づてで仕事を得る、そんな人生だった。本当によく私のような弱い生き物をこの資本主義の世の中でよく育ててくれたと思う。野生の動物は弱い子が生まれると、我が子をもあっさり捨てる。
人間とは、なんと凄い生き物だろうか。弱くても育てるのだから。
私がこういう話をしたところで、誰も耳を傾けたいとは思わないだろうから、私の母の話はここでやめておく。
村上春樹さんだからこその物語であった。
誰の人生にも物語があることを改めて思った本だった。
そんなことに気がつかせてくれる村上春樹さんは本当に凄い小説家であると私は思う。
私は芸術や文学、文化が社会を変化させる希望の一つであると、そう思っている。
最近のニュースを見て、そう思わずにいられない。
私の人生の暗い部分は全部、墓まで持っていくので、物語として残ることはないだろうが、私はまだ自身の物語の途中にいる。
周りには「まだまだ!何度でも花を咲かせるわよ!!」と息巻いている私だ。
どんな終わり方をするのか想像しながらも、「生きていて楽しかった!」と最後に言えたらいいなと思う。
弱い私であるが、まだまだ生きてやろうぞ!
村上春樹さんの作品が読めるようになって良かった。
若い時分は、最後まで読むことができなかった。
なぜ読めなかったのだろう。文章の中に何か得体の知れない美しさを感じて、怖かった気持ちもあった。
次は「騎士団長殺し」を読みたいと思っている。
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