「ちくごist 尾花成春」展、鑑賞。(@久留米美術館)
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私は個人的に茶色を使う作品が苦手だ。
描くのも見るのもどちらも茶色は苦手だ。
唯一、茶色を使っているのにかっこいい!!と思う画家は、アジサカコウジさんだ。
茶色でいいなと思う大御所だとゴーギャンだろうか。
でも、シーレはすごく苦手だ。
私の中の茶色は「死期」「衰退」を思わせる色なのだった。
たまに、ふらっと入った画廊ですごく暗そうなオーラが漂う作家さんで、絵が茶色だったりすると「この方は大丈夫なのか?病院に行かれた方がいいのではないか?」と真剣に心配してしまうのだった。
それくらい私の中では茶色というのは「死期」「衰退」と直結したものなのだった。
洋服でもアースカラーが流行っていた時があったが、若い人が茶色の服を着ているのをみると「若いんだから、土の色ではなくて綺麗な色を着なさいな。もったいない」
と余計なお世話なことを思っていた。
でも、それは最近のことである。
私が歳を取ったからそう思ったのだ。
実際、私は若い頃、茶色(ベージュ、アンバー)をよく着ていた。
年齢を重ねると「綺麗な色の服を着たい」とそう思うようになった。
それは自身が茶色になっていっているからかもしれない。
やはり、「衰退」なのであった。
尾花茂春さんの展覧会を見に行った。
福岡県、郷土の画家である。
うきは市のご出身で、息子さんが同市に尾花さんの作品を展示している画廊を経営なさっているようだった。
今回の美術展は、私の自宅からは遠い美術館だったので、電車や順路などを調べていたら、そのことを知った。
私はこの展覧会のフライヤーを見た時、正直
「あまり見たくないな」
と気が進まなかった。
それは茶色の絵だったからだ。
うねうねと何かが描かれていて、それがひどく不気味に思えたのもあった。
そのうねうねは筑後川の草だった。
緑ではない、茶色で草が描かれているのだった。茶色は草が枯れている色だ。
やはり私には「死期」「衰退」を感じるのだった。(実際、この筑後川のシリーズは、川の開発が始まって、草が無くなったようだ。)
美術館の前にあった看板は、茶色の草ではなく黒背景の石の絵だった。私はフライヤーの草の絵より石の絵が好きだと思った。実物の絵も見たけれど、石の質感がきちんとテクスチャで表現されていて、見ていてしっくりきた。
これは好みなのだろうが、石の絵の方が好きだ!
こちらに絵がスッと入ってくるというのは、その作品がごく自然に上手いからだと思う。そこには技術を感じるのだった。
私は技術を持つ人には感服する。
努力してたどり着けるものなのか、私にはよくわからないのだが、技術というのは背景に努力あるのだと勝手に思っている。ここら辺、私は非常に日本人っぽいと自身で思う。
写実なのか抽象なのかわからない作品群を見て、自身の美術に対する知識のなさを残念に思った。
なんと言っても、私には抽象がわからない。知識の上でも、感性の上でもなんだかよくわからない。
自由に見ていいのだろうが、いつも「わからない」と思ってしまうのは何故なのだろう。そのタイトルから、何故その形と色が現れるのかということを真剣に考えてしまうからかもしれない。
ただ、絵を描くのが上手い人は必ず抽象に一度はたどり着くようであった。
それをアカデミックの美術教育を受けた方々に何故かと聞いてみたら「そのまま描くのはつまらないから」という話が多かった。
それは、この世にはまだない唯一無二の自分の表現を追い求めるのもあるだろう。
それで対象物をそのまま描くことはせずに新しい自分なりの描き方「抽象」に行き着くようであった。
私はまだ、その域に辿り着いていないのだった。
先が見えない道を今、淡々と歩いていて。
美術館で絵を鑑賞していたのは私一人だった。
展示の帰りにやっと数人、人が美術館へ入ってきているのが見えた。あのフライヤーの「茶色の草」の絵では、人はよってこないのではなかろうか。
私の友人はこの展覧会を絶賛していた。
何故だろうと思った。
それは、学芸員さんの尾花さんに対する世界観が統一されていたからではないか。そして、この展示の空間が尾花さんを非常に尊敬しているような印象も受けたのだった。
作品群は、尾花さんが絵に向き合って悩みながら描いたのも見えるものもあった。
世間が好むような絵ではないかもしれない。
ただこの展示、福岡県ではなく東京都だったらどうだっただろう。
きっと何かしらの価値を見出す人が多くいるかもしれない。筑後という土地で見出された作家さんではあるのだろうが、この土地の方々の価値と合致したのかどうか、というのを勝手に思った。
価値というのはどちらでも良くて。
どのひとも「いいな」「あまり良くないな」とどちらでも良くて。
私がこの作品群を理解しようと、理解しまいとどちらでもいいのだと思う。
しかしながら、こうやって亡きあとも作品展示されているというのは、運の強い人でもあるし、悩みながら描いた成果を果たせたのではなかろうか。
そう思った。
東京都でも展示して欲しいな。
私は説明が下手だ。
顔も知らない誰かを私も傷つけているのかもしれない。
人という生き物は、その人にとって何でもない言葉でも相手を容赦無く傷つけるのだ。
対面していたら、そういうこともその場の雰囲気やその人の人柄で払拭されるのかもしれないが、顔の見えない世界でのただの言葉の羅列は直に傷つける武器になっていることを私はよく見かける。もし私が誰かを傷つけていたら、ごめんなさい。
この感想は私だけのものであって、きっと理解していただけないであろうが、私はただ自分の気持ちの整理にこの感想をここに綴っておく。
展示の終わりの方には音楽を絵にしたものがあった。それはおしゃれな部屋に飾っていても違和感のない絵で「本当にあの茶色の草を描いた人なのか?」という明るさがあった。
こんな風にその時に応じて、自分の表現を変えられたら素敵だろうなと想像した。
そして、晩年は黒い背景の石の絵をお描きになっていたようだった。
美術館の門前で見たあの石の絵だった。
描画方法も油彩からミクストメディアになっており、画面がキラキラとしていた。石の絵だから、きっと絵具に石を入れたのだと思う。キャプションの解説にもあったが日本画の絵具で使用される「方解末 」だと、私も思う。(アクリル絵具にそれを混ぜて描く人もいるのだ)
筑後川の作品群は茶色の草ばかりだったけれど、私は背景が黒になって、ホッとした。
尾花さんが何かを乗り越えて、「黒」という色に至った事は、私を安心させた。
全て私の勝手な解釈であるが、絵というものはそれでいいのではないかな。
どの人の作品も、どんな風に受けとめてもいいのだと思う。
私が春にお世話になったギャラリーのオーナーさんが尾花さんを直接知っていたらした。
「描けないって、悩んで、ここに出入りしていた時期があったねぇ」
とおっしゃっていた。
人が一人座れるくらいの小さな空間で、絵を描いていたらしい。描き続けた絵が貯まって部屋が圧迫されながらも。
その話を聞いた時、ゾッとした。
私はそんな狭い空間で絵を描くことはできない。
絵を描き始めると、その空間はカオスになる。絵具、水入、筆が出しっぱなしになる。
私はアクリルで絵は乾きが早く、乾く時間と戦いながらいつも描く。整頓しながらなぞ、絵は描けぬ。それであちこちに絵画用具が散らばることになる。
尾花さんはうきは市に広い自宅をお持ちなのだそうで。
きっと寝る部屋は別にあるのだ。
私は下手すると寝室も絵具たちが進出してきたりするのだ。
なるべく寝室には絵を持ち込まないようにして、台所のスペースで描くようにしているが。
帰宅して、寝る前に熱いお風呂に入った。
その時に私はぼんやりと「私も茶色の絵を描くようになるのだろうか」など考えた。
もし描くならくすんでいても、怖くない絵を描きたい。
私が描いた「やがて骨になる」という髑髏の絵は「死は決して怖くないのだ」ということを描きたくて描いた。まだ死を体験していない私がそんなことを画題にして良いかわからなかったが。その絵は青い絵だ。
茶という色は、そんな私に「死」を怖くさせる色だ。
あの筑後川の茶色の草の絵を見た時、自分の中にため込んだ膿みを見たような気がして、私は今日、絵を見にいったことを少し後悔した。
でも、尾花さんが15歳の時に初めて描いた油絵も、すごく上手かった。
いや、やっぱり見に行ってよかった。
熱いお湯に気持ち良さを噛みしめた私は、美術館の帰りがけにみた黄色の蝶々たちも思い出すと、やっぱり見に行ってよかったのだと強く思えたのだった。
ただ一つ確信したのは、私はやっぱり「茶色」が苦手ということだった。
蝶々と夏の日差しと熱いお風呂。
今日も無事に幸せな1日を終えた。
「ありがとうございました」と何故か天井に向かって言う。
「もう二度と来ないだろうな」と思っていた遠くの美術館に何度も足を運んでいる自分がいる。
こうやって生きて、何度も足を運べたことに感謝した。
私も悩みながら、自分が納得できる絵が描けますように。
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