投稿

3月, 2025の投稿を表示しています

「鬼滅の刃」1〜23巻 吾峠 呼世晴(著)、読了。

私はいつも流行について行けずにいる人生なのであるが、とっくの昔に連載が終わったらしいこの漫画を読んだ。 きっかけは博物館に展示されていた「柱展」を見に行ったことである。 この漫画のあらすじを知っていらっしゃる方は、「柱」が何かご存知であろう。 ざっくりと説明すると、鬼を倒す強い剣士9人が「柱」と呼ばれる。 この「柱」の中には、主人公が入っていない。 主人公不在の展示など、私はそれだけで驚いた。 普通は「主人公ありき」だと思うのだが、『鬼滅の刃』という物語が他と違うのはこういう点なのかもしれない。 物語内容はざっくりとしか把握しておらず、数年前にマンガの一巻を読んだのと、何かしらでアニメを数話だけ見たのと。 そんなに予備知識もないまま、私は柱展を見に行った。 私はなぜこの展示を見に行ったのかというと 「何が多くの人を惹きつけるのか」 ということが知りたかったから。 結局はっきりわからなかったが、私の想像ではキャラクターそれぞれの人生がしっかりとあって、誰もが何かしら共感する部分を持っているのではなかろうかと。 展示の柱各々に年譜が展示してあり、柱たちは他より超越した力を持ちながらも、人生の荒波を経験してきて現在に至っていること。 見る側に、何かしらの共感する部分があるのではなかろうか。 入場時にカードを頂いたのだが、自分が欲しい柱のイラストが選べる。 私は「胡蝶しのぶ」さんにした。 (やはり人気は煉獄さんらしい。) 本当に大した予備知識もなく展示を見に来たのだが、このカード、裏面にQRコードがあり、そこにアクセスすると胡蝶しのぶさんの声が聞けるのだった(内容については触れずにおく)。展示の会期中だけアクセスできる。 話は戻って、展示がきっかけで漫画を読んだのだが。 私は23巻が終わっているのに驚いた。 天下のジャンプで、これだけの大人気漫画であれば、大人の事情で長い連載を強いられそうなものだが。 きっと担当の方も物語を見極める素敵な人がついていたのだろうと思う。 この漫画を読み終わった時に、私はウルトラマンを思い出していた。 私の中のウルトラマンは怪獣を倒すために、キックの練習などを地道にしていたのが記憶に残っていて。 「あんな戦いをするためには、やはり練習をするのだな。」 と幼心に感動したのだった。 当時、小さいながらも「いきなり強くなったわけではない」ということを...

私の中で、マイクロプラスチックは蓄積されているのか?

9年前だったか。 ナショナルジオグラフィックを見て、ゾッとしたのは。 私の勤務先はその雑誌を受け入れしていたので、みる機会があった。 海と鳥、鯨、プラスチック類を飲み込んでしまった、末路。 そんな写真が目に飛び込んできたのを覚えている。 マイクロプラスチックの特集であった。 私の学生時代は、社会科でまだマイクロプラスチックによる環境汚染などは教科書に記載がなかったのではなかろうか。 よく耳にする SDGs なども、もちろん載っていない。 この頃、マイクロプラスチックが体内のどこに多く蓄積されるか、判明したようだ。 それは、 脳だった 。 この頃のニュースでは心臓発作や脳卒中などに関連があるとのことで多く報道されていたが、脳に蓄積されると痴呆症のリスクが高くなるようだ。 もっと詳しく知りたい方は上記の単語を検索してみると良い。 「脳卒中 マイクロプラスチック」 「脳 マイクロプラスチック」 と入力すれば、だいたい何かしらヒットすると思う(各ご家庭でブラウザが違うでしょうから、ヒットの順序や内容が少し違うかもしれない。) 私はよく飲み物を飲む。 茶葉から飲めば急須を使うから、特に問題ない。 ただ私が飲んでいるお茶はどちらもティバッグに入っているのだった。 ティバッグはプラスチックでできているものも沢山ある。 このニュースを知ってから、私はティバッグに注目するようになった。 私がお茶を飲むのは、食べることに関しての楽しみが人より制限されていることにある。 私が飲み物を飲むのが楽しみで毎日過ごしていると言っても大袈裟ではない。 私は小さな頃から食物やその他のアレルギーがある。 私が小さな時は、気にしていなかったし、そもそも病院でそんな検査を受ける機会もなかったのだが、大人になってからひどくなり、検査したところ、色々なアレルギーを持っていた。花粉、ハウスダスト、動物の毛などなど そして、食品アレルギーに関しては、乳製品も私はアレルギーがあるらしい。 とにかく体がだるくなる。 小中学校は、毎日、給食で飲んでいたから、あのしんどさは牛乳だったのかなと、今、振り返って思う。若さでなんとか体を動かしていたものの。 まぁ、それはどうでも良いか。 いや、関連するかな。 食べ物の栄養というのは少しずつ蓄積されていくようだ。 体に合わないものを摂ると、何年後かに「あれ?!」と体を悪くしていた...

嫉妬ができるということ

 私はこの頃、ある作家さんに 「嫉妬はしないの?」 と聞かれた。 嫉妬にも色々種類があると思う。 多分、この場合の嫉妬は、「作品を創作することに対する嫉妬」を指す。 素晴らしいものを作った相手に対する嫉妬。 アルカナ?アルカナ? ??? 少し考えたが、答えが出てこなかった。 「ないんだ!!」 と驚かれた。 私には嫉妬をする気力と体力がないのだと思う。 私が皆と違うのは、デフォルトに体力や気力がない点である。 そもそも創作物には勝ち負けがないと思っている。 私は勝ち負けが決まる世界が苦手だった。 ゲーム、スポーツなど、必ず勝ち負けがあるものは進んでは、しない。 ゲーム、スポーツもどちらも苦手であるが、やるとしても単独でできるものしかしない。 ゲームはよくテトリスをやっていた。対戦はもちろんしたくないので、しない。 スポーツは、小さい頃、近所に卓球をしにいっていた。 それは、誰かと対戦するというより野球のバッティング練習に近い。球が向こうから出てくるのを打ち返す。そういう卓球台がバッティングセンターに置いてあったのだ。それをやっていた記憶がある。 そこまで興味がなかったのに、なぜ卓球をしていたのかは思い出せないが、きっと兄がバッティングするのについて行って、私は手持ち無沙汰だったのだろう。 兄は小さな私に色々と興味を持てるように、 ザリガニ釣り ゲーム オセロ キャッチボール 虫取り 等を教えてくれたのだが、私は全く興味を示さなかった。 こうして並べてみると、兄は男の子寄りの遊びを私に体験させてくれたのだが、そもそも体が弱かったので、絵を描いたり、本を読んだりすることが多かった気がする。 とにかく誰かと比べられるような分野は苦手であった。 兄が勉強もスポーツもできる人であったから、私は母や周りに兄と良く比べられたこともその一因としてあると思う。 兄とは友人の数も、体力のあるなしも全部、正反対であった。 当然、好む分野が違う。 私は当然、勝ち負けがない世界を私は欲していて。 そんな世界はないのかもしれないが、できるだけ、それが見えない世界を欲していて。 私は誰かの評価を求めていないのかもしれない。 「嫉妬」というのは、まず誰かの何かを自分の何かと比べることで発生するのではないか。 では、やはり私は自らはそれをしないのではなかろうか。 それは私が苦手な「勝ち負け」に...

「マイケル・ジャクソンと神秘のカバラ キング・オブ・ポップ 精神世界探究の軌跡」サッチー亀井(著)、読了。

タイトルを見てお分かりのとおり、ちょっとスピリチュアルが入った内容の本であった。 この本も作家さんからお借りした。 そもそも「カバラ」を知らないので、こうしてご縁がなければ、私が読むことはなかった本だったと思う。 ちなみにこの本の「カバラ」は「カバラ数秘術」を指します。(多分) ありがとうございます。 読みやすく、一気読みです。 3時間ほどで読みました。 私はこの本を読み終えた時、街にある美術館の貸しギャラリーで昔、マイケルジャクソン展を見たのを思い出した。 会期は次の日から始まる展示だったのだが「明日からかぁ」とガッカリしていた私に主催者の方が声をかけてくださり、前日に一番乗りで見たのだった。 どんな集まりなのか?と聞いたところ、SNSの呼びかけで作家さんたちが集まり、各々が大好きなマイケルジャクソンを描いたという展示だったと思う。(敬称略) 「SNSで集まった方々」と聞いたときは時代を感じた。 私はその頃、仕事に悩んでおり、最終日に再びこの展示を見にきて、搬出の手伝いをしたのだった。 その頃の私は絵など描いていなかった。 色々とあって仕事を辞めた後だった。 私はいじめられて辞めた。 この先どう生きたら良いか、前に踏み出せずに、悩んでいた。 そんな時に久しぶりに絵を見た。 作家さんたちが各々とのびのびと素敵なマイケルをお描きになっていたのが印象的だった。 すっかりそんなことがあったのを忘れていた。 私はマイケル・ジャクソンの曲をほとんど聞いた事がない。 私という人間は英語が苦手であったので、洋楽は殆ど聴かなかった。 そもそも辞めた職場のリーダーは、私が英語を話せないことに対して、不満があったようで。それは本当に私の力が及ばず、申し訳なかったと思う。 これが英語学習をするきっかけになった一因でもあると思う。 そう思うと、辞めた職場にも感謝しかない。 今は学習をしていないが、3年間中学英語を学習してみて、英語のこと、なんとなくイメージができた。 英語は最初に大事なことを言って、その後にずっとその大事な部分の説明を長く付け足していく。そんなことに気がついたのは、大人になってから、こうして再度学習をやり直したからだと思う。要は最初だけ聞き取れれば、なんとかなる(?)ということを知ったのだ! 中学校の時はそんなことに気がついていなかった。 話を戻そう。 マイケルの曲をほとん...

「近代日本における出産と産屋」伏見裕子(著)、読了。

学校の課題などでない限り、自分の興味のない分野の本は、どの人も読むことがないだろう。 また、全く知らない分野の本もきっかけがない限り、自身の人生の中でたどり着けないだろう。 自分が手に取るような分野ではない本を借りた。 本当に未知との遭遇!! 新しい人に出会うと、新しい分野を知ることになるのだなぁとしみじみ思った。 この本は、民族学を学んでいらっしゃる美術作家さんにお借りした。 ありがとうございます。 お若くして、こういうことに興味を持ち探求なさっているなんて、将来が楽しみな作家さんだといつも思う。 偶然だったのか、必然だったのか。 私が次のグループ展のために描こうとしていた作品の一つに添うような内容の本であった。 女性というのは月に一度生理がくる。 それを「穢れ」として捉えていた時代があった。 私は神社が好きなので、神社みたいな絵を描こう(「どんな絵なんだ?」と思われるに違いない)と思った時に、いろいろ調べていて知ったのだが、生理期間中は神社に行ってはいけないのだそうだ。 生理は「穢れ」とみなされるらしい。 そして、同じく出産もそうだったらしい。 この本にもそのような事が書かれてあった。 日本は島国である。 その島国の中の島、香川県の伊吹島にあった出部屋(産屋)についてのフィールドワーク(論文)がこの本の内容だった。 CiNii で調べたら、著者の新しい論文が他にもあるのかもしれない。 島国とは本当に限られた世界なのだと、改めて思った。 その島国日本の中には、たくさんの島があるのだが。 小さな共同体の中で作られてきた生き延びるための知恵が、いつの間にか「穢れ」という教えで伝えられてきたに違いない。と、勝手に思った。 それは動物的で、本当に本能的だと、私は思った。 以上である。   もっと素敵な感想があっても良いのかもしれないが、私は読みながら「人間も動物なのだ」ということを改めて思ったのが、率直な感想なのだった。 これらについては、私は絵で表現しようと思う。 そうだなぁ。 私にとって、感想を綴るには難しい本だった。 子供を産み育てるというのは、手がかかるだろうから、やはり周囲を巻き込みながら楽しく人を育てて欲しいと思う。 「周囲を巻き込みながら楽しく」という役目を少なくとも産屋がしていたのだと、私は思った。 産屋は産婆がいて、そこに近所の方だったり、大勢いた兄弟だ...