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「ユダヤの商法 世界経済を動かす」藤田田(著)、読了。

この本の存在を知ったのは、ソフトバンクの孫さんの自伝を読んだからだ。 孫さんはかなり影響されたのではないかと思った。 成功者には成功者のセオリーがきちんとあるということがわかる本だ。 著者の田(でん)さんは、大阪生まれのバリバリの商人気質で、先見の明を持つ方だ。 発行が2019年だったので、もっと最近の方なのかと思いきや大正生まれでいらした。 私は知らなかったのだが、日本にマクドナルドやトイザラスの店を作ったのだ。 書名からもわかるようにユダヤ人のことが沢山書いてある。 どんな考え方で、どんな風習を持ち、過酷な歴史の中どう生き抜いてきたか、そんなこともわかるような本だった。 私はユダヤの人のことをよく知らなかった。 そもそも読んだことのある本は「アンネの日記」くらいで。 ただニュースでユダヤ人という単語を時々聞く時は、なんとなく「優秀な民族」という印象が漠然とあった。そして、「ナチスから迫害を受けてきた人種」という弱者のイメージが強かったのだが、なんと賢く逞しく生きてきた人種なのだろう。 本書の主旨は金持ちのなりかただが、これを実行できる人、実行する人は限られているだろう。金持ちになりたい人以外にとっては、ユダヤ人がどんな人種なのかを知るのには良い本だと思う。 印象に残ったことを備忘録として綴っておく。 ・78:22の法則 片付けや断捨離でもよく聞くようになったパレートの法則が書いてあった。 宇宙の大法則なのだ、と。 こんな昔の方が既にこの法則をこの時代に知っていたのに驚いた。 ・「きれいな金」「きたない金」はない 斉藤一人さんがこの話をしていた記憶があるのだが、もしかしたら田さんの本をお読みになったのかも。 ・アポイントをとれ アポを取らずに人を訪ねるのは、人の時間を奪うことになるから、失礼だという。 勉強になりました。 この部分を読んでいた時、アポなしで人を尋ねようとしていた。もう今日しか会える日がないと思ったのでアポなしで突き進んだ(笑)。すごく反省した。 でも、もう会うことはないと思われる。最後なのに、時間を奪って、ごめんなさい。 ・必ずメモをとれ メモ帳を持ち歩いているわけではなく、ユダヤ人はタバコの空き箱を捨てずにとっておき、sの場でメモを取るそうだ。(中のシガレットはケースに入れる)このメモは後でメモ帳に整理して記録される。日時、場所などの重要なことを...

私の中で、マイクロプラスチックは蓄積されているのか?

9年前だったか。 ナショナルジオグラフィックを見て、ゾッとしたのは。 私の勤務先はその雑誌を受け入れしていたので、みる機会があった。 海と鳥、鯨、プラスチック類を飲み込んでしまった、末路。 そんな写真が目に飛び込んできたのを覚えている。 マイクロプラスチックの特集であった。 私の学生時代は、社会科でまだマイクロプラスチックによる環境汚染などは教科書に記載がなかったのではなかろうか。 よく耳にする SDGs なども、もちろん載っていない。 この頃、マイクロプラスチックが体内のどこに多く蓄積されるか、判明したようだ。 それは、 脳だった 。 この頃のニュースでは心臓発作や脳卒中などに関連があるとのことで多く報道されていたが、脳に蓄積されると痴呆症のリスクが高くなるようだ。 もっと詳しく知りたい方は上記の単語を検索してみると良い。 「脳卒中 マイクロプラスチック」 「脳 マイクロプラスチック」 と入力すれば、だいたい何かしらヒットすると思う(各ご家庭でブラウザが違うでしょうから、ヒットの順序や内容が少し違うかもしれない。) 私はよく飲み物を飲む。 茶葉から飲めば急須を使うから、特に問題ない。 ただ私が飲んでいるお茶はどちらもティバッグに入っているのだった。 ティバッグはプラスチックでできているものも沢山ある。 このニュースを知ってから、私はティバッグに注目するようになった。 私がお茶を飲むのは、食べることに関しての楽しみが人より制限されていることにある。 私が飲み物を飲むのが楽しみで毎日過ごしていると言っても大袈裟ではない。 私は小さな頃から食物やその他のアレルギーがある。 私が小さな時は、気にしていなかったし、そもそも病院でそんな検査を受ける機会もなかったのだが、大人になってからひどくなり、検査したところ、色々なアレルギーを持っていた。花粉、ハウスダスト、動物の毛などなど そして、食品アレルギーに関しては、乳製品も私はアレルギーがあるらしい。 とにかく体がだるくなる。 小中学校は、毎日、給食で飲んでいたから、あのしんどさは牛乳だったのかなと、今、振り返って思う。若さでなんとか体を動かしていたものの。 まぁ、それはどうでも良いか。 いや、関連するかな。 食べ物の栄養というのは少しずつ蓄積されていくようだ。 体に合わないものを摂ると、何年後かに「あれ?!」と体を悪くしていた...

嫉妬ができるということ

 私はこの頃、ある作家さんに 「嫉妬はしないの?」 と聞かれた。 嫉妬にも色々種類があると思う。 多分、この場合の嫉妬は、「作品を創作することに対する嫉妬」を指す。 素晴らしいものを作った相手に対する嫉妬。 アルカナ?アルカナ? ??? 少し考えたが、答えが出てこなかった。 「ないんだ!!」 と驚かれた。 私には嫉妬をする気力と体力がないのだと思う。 私が皆と違うのは、デフォルトに体力や気力がない点である。 そもそも創作物には勝ち負けがないと思っている。 私は勝ち負けが決まる世界が苦手だった。 ゲーム、スポーツなど、必ず勝ち負けがあるものは進んでは、しない。 ゲーム、スポーツもどちらも苦手であるが、やるとしても単独でできるものしかしない。 ゲームはよくテトリスをやっていた。対戦はもちろんしたくないので、しない。 スポーツは、小さい頃、近所に卓球をしにいっていた。 それは、誰かと対戦するというより野球のバッティング練習に近い。球が向こうから出てくるのを打ち返す。そういう卓球台がバッティングセンターに置いてあったのだ。それをやっていた記憶がある。 そこまで興味がなかったのに、なぜ卓球をしていたのかは思い出せないが、きっと兄がバッティングするのについて行って、私は手持ち無沙汰だったのだろう。 兄は小さな私に色々と興味を持てるように、 ザリガニ釣り ゲーム オセロ キャッチボール 虫取り 等を教えてくれたのだが、私は全く興味を示さなかった。 こうして並べてみると、兄は男の子寄りの遊びを私に体験させてくれたのだが、そもそも体が弱かったので、絵を描いたり、本を読んだりすることが多かった気がする。 とにかく誰かと比べられるような分野は苦手であった。 兄が勉強もスポーツもできる人であったから、私は母や周りに兄と良く比べられたこともその一因としてあると思う。 兄とは友人の数も、体力のあるなしも全部、正反対であった。 当然、好む分野が違う。 私は当然、勝ち負けがない世界を私は欲していて。 そんな世界はないのかもしれないが、できるだけ、それが見えない世界を欲していて。 私は誰かの評価を求めていないのかもしれない。 「嫉妬」というのは、まず誰かの何かを自分の何かと比べることで発生するのではないか。 では、やはり私は自らはそれをしないのではなかろうか。 それは私が苦手な「勝ち負け」に...

「マイケル・ジャクソンと神秘のカバラ キング・オブ・ポップ 精神世界探究の軌跡」サッチー亀井(著)、読了。

タイトルを見てお分かりのとおり、ちょっとスピリチュアルが入った内容の本であった。 この本も作家さんからお借りした。 そもそも「カバラ」を知らないので、こうしてご縁がなければ、私が読むことはなかった本だったと思う。 ちなみにこの本の「カバラ」は「カバラ数秘術」を指します。(多分) ありがとうございます。 読みやすく、一気読みです。 3時間ほどで読みました。 私はこの本を読み終えた時、街にある美術館の貸しギャラリーで昔、マイケルジャクソン展を見たのを思い出した。 会期は次の日から始まる展示だったのだが「明日からかぁ」とガッカリしていた私に主催者の方が声をかけてくださり、前日に一番乗りで見たのだった。 どんな集まりなのか?と聞いたところ、SNSの呼びかけで作家さんたちが集まり、各々が大好きなマイケルジャクソンを描いたという展示だったと思う。(敬称略) 「SNSで集まった方々」と聞いたときは時代を感じた。 私はその頃、仕事に悩んでおり、最終日に再びこの展示を見にきて、搬出の手伝いをしたのだった。 その頃の私は絵など描いていなかった。 色々とあって仕事を辞めた後だった。 私はいじめられて辞めた。 この先どう生きたら良いか、前に踏み出せずに、悩んでいた。 そんな時に久しぶりに絵を見た。 作家さんたちが各々とのびのびと素敵なマイケルをお描きになっていたのが印象的だった。 すっかりそんなことがあったのを忘れていた。 私はマイケル・ジャクソンの曲をほとんど聞いた事がない。 私という人間は英語が苦手であったので、洋楽は殆ど聴かなかった。 そもそも辞めた職場のリーダーは、私が英語を話せないことに対して、不満があったようで。それは本当に私の力が及ばず、申し訳なかったと思う。 これが英語学習をするきっかけになった一因でもあると思う。 そう思うと、辞めた職場にも感謝しかない。 今は学習をしていないが、3年間中学英語を学習してみて、英語のこと、なんとなくイメージができた。 英語は最初に大事なことを言って、その後にずっとその大事な部分の説明を長く付け足していく。そんなことに気がついたのは、大人になってから、こうして再度学習をやり直したからだと思う。要は最初だけ聞き取れれば、なんとかなる(?)ということを知ったのだ! 中学校の時はそんなことに気がついていなかった。 話を戻そう。 マイケルの曲をほとん...

「近代日本における出産と産屋」伏見裕子(著)、読了。

学校の課題などでない限り、自分の興味のない分野の本は、どの人も読むことがないだろう。 また、全く知らない分野の本もきっかけがない限り、自身の人生の中でたどり着けないだろう。 自分が手に取るような分野ではない本を借りた。 本当に未知との遭遇!! 新しい人に出会うと、新しい分野を知ることになるのだなぁとしみじみ思った。 この本は、民族学を学んでいらっしゃる美術作家さんにお借りした。 ありがとうございます。 お若くして、こういうことに興味を持ち探求なさっているなんて、将来が楽しみな作家さんだといつも思う。 偶然だったのか、必然だったのか。 私が次のグループ展のために描こうとしていた作品の一つに添うような内容の本であった。 女性というのは月に一度生理がくる。 それを「穢れ」として捉えていた時代があった。 私は神社が好きなので、神社みたいな絵を描こう(「どんな絵なんだ?」と思われるに違いない)と思った時に、いろいろ調べていて知ったのだが、生理期間中は神社に行ってはいけないのだそうだ。 生理は「穢れ」とみなされるらしい。 そして、同じく出産もそうだったらしい。 この本にもそのような事が書かれてあった。 日本は島国である。 その島国の中の島、香川県の伊吹島にあった出部屋(産屋)についてのフィールドワーク(論文)がこの本の内容だった。 CiNii で調べたら、著者の新しい論文が他にもあるのかもしれない。 島国とは本当に限られた世界なのだと、改めて思った。 その島国日本の中には、たくさんの島があるのだが。 小さな共同体の中で作られてきた生き延びるための知恵が、いつの間にか「穢れ」という教えで伝えられてきたに違いない。と、勝手に思った。 それは動物的で、本当に本能的だと、私は思った。 以上である。   もっと素敵な感想があっても良いのかもしれないが、私は読みながら「人間も動物なのだ」ということを改めて思ったのが、率直な感想なのだった。 これらについては、私は絵で表現しようと思う。 そうだなぁ。 私にとって、感想を綴るには難しい本だった。 子供を産み育てるというのは、手がかかるだろうから、やはり周囲を巻き込みながら楽しく人を育てて欲しいと思う。 「周囲を巻き込みながら楽しく」という役目を少なくとも産屋がしていたのだと、私は思った。 産屋は産婆がいて、そこに近所の方だったり、大勢いた兄弟だ...

ぽつんとすること

私はいつも「ぽつん」としている。 絵を少し展示する機会が増えて、外に時々出るようになったが、大勢の中にいても「ぽつん」としているのを感じる。 私には仲間がいない。 振り返っても、仲間がいなかったなぁと、この頃気がついた。 今も仲間はいない。 「嫉妬はしないのですか?」と、ある作家さんに聞かれたのだが、嫉妬するとしたら大勢の中でうまく過ごせる技術がある方に対して、すると思う。私は仲間がいないというのは、この技術もないからだと思う。 この質問はきっと作品を作る姿勢についての「嫉妬」を聞かれたのだと思うのだが、私はそもそも同じラインに立っていないので、嫉妬できない。同じ位置に私が立てた時にするものではないのだろうか。 こうして文章にしてみると、私は自己肯定感が相当低いのかもしれない。 そもそもその世界に身を置いてきた人間ではないから、知り合いもいないに等しい。だから、仲間がいなくても当たり前かもしれないが。それにしても、私は今まで何を成してきたのだ?何も成していないと悲しく思った。 そう、だから仲間はいない。 ただ生きていると、どの世界に身を置いていても私を利用しようとして近づいてくる人が必ずいる。しかし、なかなかご期待にも添えず。 私はそういうのに気がつくと、パッと離れていく癖があって。 驚かせてしまう事があるらしい。 この頃は少しずつ距離を置いて、離れるように心掛けている。 離れるときの理由は、大抵これだけではないが、一緒にいると「しんどい」と思った人とはもちろん関わらないようにしている。 私と一緒にいたら、ご迷惑をかけるであろう大切な人とも距離を離すこともある。これは違う意味で私は「しんどい」のであるが、後悔しないためにそうすることもある。 もちろん、相手側が私を「利用できない」と判断した時は、向こうからパッと離れていく場合も多々ある。 友達は少ないが、いる。 多分、今のところ「いる」と思う。 それもまた状況が変わるかもしれない。 ただ、生きる世界が変わると友達は去っていくし、私はそれを引き留めない。 それが正しい接し方だと思っているから。 「ぽつん」について、考えているとわからなくなって、人生の師匠に聞いてみた。 「私はいつもぽつんとしているけれど、それって何でしょう?」 「僕は、ずっとそうだけど?人とずっと一緒にいるのが楽な人は、大勢と過ごすだろうけども、一人で...

「スープで、いきます」遠山正道(著)、読了。

私はこのかたがどんな事を成し遂げた方なのか存じ上げていなかった。 昨年末に講演会があったので拝聴しに出掛けた。 それが、本当に本当に面白い方でびっくりした!! 私が若くて、4年大卒でだったら、こんな方がいる会社(スマイルズ)の入社試験を受けに行っただろう。そして、運良く入社できたら、勇気を出して遠山さんに話しかけに行ったと思う。 著者の遠山さんは「soup stuck Tokyo」を作った方だ。 我が町にも店舗が奇跡的に、ある。 私はなんとまだ、お店に行った事がないまま、講演会へ。 そして、講演会後の著作本の読了。 次の選択肢としてはもう、店舗にてスープを食べるしかないと思っている。 こんな面白い物語を紡いだお店のスープ食べるしかない! 街に出る機会がある時に、行ってみようと思う。 今からワクワクする。 講演会でも著作の中でも遠山さんがおっしゃっているのは「頼まれてもいない仕事をする」という事だ。 遠山さんのお人柄と人を楽しませようとするその心意気がとても素敵だと思った。 私もこれから先の人生、受動的ではなく、能動的に。人を楽しませて、仕事をして生きていきたいと思っている。 遠山さんが実際になさった頼まれてもいない仕事は、本書を読んで頂きたい。(これがきっかけで遠山さんの人生の道が見えてくるのだ) 私が講演会で拝聴した中で、遠山さんが例えとしてお話ししてくださったお仕事というのが、こんな物語である。 福岡県八女市に生まれたOLさんは、いつか美味しい黒豆茶を縁側で出すような旅館を経営したいと思っている。 彼女は、もちろんOLさんなので、皆がよく知っているお仕事「お茶だし」もする。 その時、彼女は会社の緑茶をお客様にお出しするのではなく、彼女のポケットマネーで購入した黒豆茶をいれて、お出しする。 彼女はいつか叶えるべく夢、縁側でおいしい黒豆茶を出す旅館の経営のため、今は「美味しい黒豆茶のいれ方」を常日頃から研究しているのだった。 緑茶ではないこのお茶にお客様は「この美味しいお茶は何?」と聞く。 彼女は黒豆茶だとういう事と、そして彼女の夢をお客様にお話しする。 そんなお茶だしを続けていたら、ある日、社内でも黒豆茶を出す社員さんの話が持ち上がるようになる。 そして、これがきっと彼女の叶えたい夢へと続いていくのだ。 と、こんな実践の仕方を物語のように語ってくださったのだった。...