ロートレックと初対面
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「ロートレックを見ておかねば!」
私は今まで生きてきて、まだまだ見たことのない絵が多い。
世にいう日曜画家の私が、本物の絵に触れずにここまで生きてきた理由は、元々出不精であったのもあるし、体力がないからそもそも遠くへ行こうとしなかったのもあるだろう。
興味が少しあっても体がキツくて、仕事が休みの日は寝ることを優先していた。
近くに有名な作品が来ていた時ですら「予算がない!」というような理由をつけて終わるような出不精人間だった。
たまに友人が声をかけてくれた時(年に一回)に、友人と美術館へ行く程度だった。
今までの私の生活・人生には、文化・芸術がなかった。
働くだけの人生だったのに、コロナで人生が本当に変わった。
「今日やらねば明日がないかも!」という気持ちが常にある。
そう!「今」を大事にするようになった!!!
今日。
思い立って、遠い美術館へ行くことにした。
(「ああ、4も市を跨いだのか!!!!!!」と、帰宅した後に驚いた。)
高速バスに乗った。
私がバスを利用するのは、自分が住んでいる市内くらいだ。だから県外などの遠くへ行くバスのターミナルには行ったことがなかった。
高速バスターミナルは周知の通り、県外に行けるバスが運行しているのだ。
「なんだ、ここから県外の友達に会いに行けるではないか。とりあえず乗ってしまえば着くのだもの!」
ちょっと感動した。
私はどこへも行けずに人生が終わる気がしていたけれど。
電車の駅やバスターミナルへ行って、乗ってしまえば着くのだ、目的地に。
「この県と、この市の中だけで人生は終わらないかもしれない、もっと多く色々なものを見れるかもしれない」という可能性を高速バスターミナルで思ったのだった。
そんなことを思ってしまうくらい、私はテリトリーの中で過ごす時間が多かったと言える。
街まで出た時に、このコロナ禍で「こんなところにいていいのかしら」と反省したが、ほぼほぼ人のいないバスターミナルを見ていたら「やはり今日行こう」と思ったのだった。
「先延ばしにしていたら、私はロートレックを見ずに人生が終わるかもしれない」と思ったからだ。
バスは時間通りにやってきた。
私を入れて、3人しかバスに乗らなかった。
座席が奥までずっと続いているのを見て驚いた。「こんなに手前から奥を感じるバスに乗るのか!」と楽しくなった。「遠近法を使って描くなら、ここかもしれない!」と思ったくらいだ。
私は高速バスに乗るのは初めてであった。
シートベルトをして乗った。座席にシートベルトの指示が書いてあったからだ。なるほど、街を走るバスと違って、長時間、高速道路を走るからであろう。
車窓から同じ風景が続く。
ずっと山が見えた。最初のうちは読書をしていたが、酔いそうになったのでリクライニングシートを倒して少し横になった。何もかもが街を走っているバスと違う。
横目でみた車窓からの高速道路は、車が少なかった。
バス車内のアナウンス「明日は土曜日ですが、日曜日の時刻表となります。当分はこれが続くかと思いますが、よろしくお願いします」
そんな状況時に乗って良かったのか悪かったのか。そう思いながら、こんなに長時間バスに乗るなんて思わなかった日だった。
ついに、目的の市にやってきた。
「どこまでも日本なんだなぁ」と思う風景。日本は続くよ、どこまでも。
近所が少しリニューアルされた街になったのではないかと思うような親近感があり「遠くへきた」という感覚がなかった。
今、高速バスに降りたのに、更に美術館へ向かうバスに乗る。
先に述べた通り、同じ日本であるからあまり風景の印象は変わらないが、車窓から初めて見る街はひどく閑散としていたのには驚いた。
私が住んでいる場所は商店街が近いから、いつも買い物客が通りを通っていて割と賑やかにしている。コロナ禍の今も以前と変わらない様子だから、ここの「閑散」の大きさに驚いた。バス停がわからず人に聞こうにも、見渡すと人が一人しかいなかったので、その方に尋ねた。
それに何より驚いたのは、美術館がずっとずっと坂の上にあったことだ。
山の上と言った方が良いのかもしれない。
こんなところに、美術館があるイメージが私にはなかった。何しろ自分のテリトリーから出ることが少ない私だ。ややテリトリー内にある美術館のイメージしかなかったのだった。
そして、美術館に着いた時初めて「遠くへきた」と実感したのだった。
あっさりロートレックと対面した。
手書きではない、印刷された味わいがあった。印刷と言っても機械でプリントしたものとは少し違う。技法の方法の説明のキャプションがあったが、ほぼ手書きが紙に刷られた感じの工程を踏むので、私としては手書きだと言って良いと思った。技法としては石版画(リトグラフ)と呼ばれる版画になる。
以前、ブログでも書いたが現代の版画の主流はジクレー版画なのだそうで、ジクレー版画はは見てもらうとわかるが本当に色の再現率が高いと思われる発色で、原画を再現しているのだった。街のギャラリーで個展を幾つか見たが「ジクレー版画はご相談ください」と書いてあったのを二回も見た。それくらいジクレー版画が普及しているし、現物を「ジクレー版画」という形で量産したいのであろう。
現代の技術の、それとは違う味わいが作品にあるのを感じたことを言っておきたい。
ロートレックは、絵画というよりデザインとして鑑賞したい作品群だった。この展覧会は、ほとんどが版画作品であったのもあるだろう。帰宅後に、この美術館に来る前に頂いたフライヤーを見たら「グラフィック・デザイナーの先駆者ともいわれます。」と書かれていた。
やはり!デザインだ!!!!!
かっこいい!!!!!
まずサインがカッコ良かった。もうロゴなのだ!
名前の頭文字全部が一つに組み込まれているのが凄い。雰囲気としては日本でいう落款を押してある感じだと言えば伝わるだろうか。
それにロートレックの凄さは、舞台のポスター用に描かれたその画の構成だと思う。プログラムの一覧(文字)を画に入れるのが、その画面に対して絶妙な場所で、それがすごくうまいと思った。それを見てちょっと興奮した!!!
最近、日本のドラマで「第3話」などと「タイトル」を画面の背景や小物に入れて始まるのを良く見かけるが、あのような感じだ。いい感じに画面の中に文字を組み込む。
その舞台の一画面としての物語がありながらも、文字が絵を邪魔していない。
文字を画面に組み込む場所がうまい!
私はデザインも好きであるから「観に来てよかった!」と心からその時思った。
今日、諦めて家にいたら、きっとこの絶妙な文字の組み込み方を見ることがなかっただろうから。
舞台のポスターではなく、ロートレックがデッサンとして描いた版画もあった。その中には、体が痛くてアルコールで何とかごまかし、アルコールに溺れかけていたらしい時の作品もあり、、、。
確かに。
やはり作品や線に、そういうものが出るのだと私は感じた。
その時の自分の心象というものが、作品に知らず知らずのうちに組み込まれてしまっている。
だから、描こうとしているその画題に対して、画題の気持ちでいない時に描くと、薄っぺらい作品になるのだ。
私だけではないのだ。そう思った。
ちなみに美術館と言えば、私は常設展を楽しみに行くのであるが、常設展は今、改装工事中とのことであった。残念!
常設展は、その美術館が所蔵している作品を展示してあるのだが、所蔵数が多いので大抵は全てを展示しているわけではなかったりする。(ロートレック展は、企画展に分類される)
私はこの美術館所蔵の見たい絵がある。
「また春以降に来ることになりそうだ」と密かに呟いた。
私のお目当ての絵、この春先に見ることができるかどうか、、、。それも楽しみにして生きていよう。
私はロートレックについて、あまり予習もせずに展示を鑑賞したのだが。
その日思い立って美術館へ向かったために、簡易ではあるが比較的すぐ見れる動画(youtube)を見て何となく「こういう人なのだろう」のロートレックを知ってから展示を観た。
そのyoutubeは、山田五郎さんの「オトナの教養講座」(←ロートレックの回)だ。
すごく勉強になった。ロートレックがどういう人なのかということを知って、作品を見たので、また深さが増した。
せっかくなので、ロートレックに関連する本を図書館で借りてみようと思った。読書によってまた少しの間だけでも、この今日という余韻を楽しみたいと思う。
良い1日であった。
「今」を大切にした日だった。
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