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6月, 2024の投稿を表示しています

炭治郎の技とキャベツのせん切り(映画「鬼滅の刃 無限城 第一章」の感想)

私は何度も「流行にうとい」と周りに伝えてきた。 ただ今年の私は違う!!違うぞ!! 世間の流行にちょっと乗ってみようと思った。 「あまり自分が興味がなかったことにもチャレンジしてみよう。」そう思ったのだ。 歳をとったのだろう。 やってみたことないことしておいた方が良い、そういう危機感がある。 人生は短い。(想定外で少し長くなったけど) 博物館の展示「『 鬼滅の刃』 柱展 」を見たのがきっかけで 映画「『鬼滅の刃』 無限城編 第1章」を見に行った。 「柱展」の展示を博物館で見てから 漫画1〜23巻を読み アニメを少し見て 映画を見た(←今、ここ) という流れで映画を見てきた。 世間の方々の何をかりたてて、連載が終わってもなぜ熱が冷めずにいるのか。 ずっと気になっていた。 もう少し以前であると、映画「『鬼滅の刃』 無限列車編」も話題になっていたが。 私は、漫画を先に読んでしまっているので結末は知っている。 ただ2回ほどしか繰り返し読んでいないので、部分部分の詳細を覚えていない。 だから、気持ち新たに映画を見ることができた。 主人公の炭治郎が鬼(鬼の名は「あかざ」と言う)に向かうときに、ぐるぐる考えていたことを見て、私は「キャベツのせん切り」を思い出していた。 私は以前、元日本料理人から「キャベツのせん切り」を教えていただいたことがあった。 「包丁をまな板に押し付けるような力の入れ方をしてはいけない。包丁や腕にいかに力を入れずに切るかを学びなさい。そうすれば、長時間切っていられる。余計な力をかける必要はないのだから。」 確かに肘を支点として腕を動かすと力を入れずに、包丁の切れ味だけでキャベツをずっと切っていられるのだった。 ただし、これは包丁の切れ味が良くないとダメだ。 包丁の手入れをかかさずにする必要がある。 道具の手入れの大切さ。 そして、いつもいつも全力を出していては最後まで乗り切れない(戦えない)こと。 それと、肘を支点にするという技術が必要になる。正しい姿勢でキャベツを切ると本当に楽に切れてしまうのだ。ただ、これは天才でない限り、ひたすら何度も練習が必要となる。 炭治郎が考えていたこととキャベツのせん切りは同じではなかろうか。 私は勝手にそんなこと思いながら見ていた。 『鬼滅の刃』の物語の良さを周りはどう思っているのか知りたくて、たまに会う機会のある美術作家さんた...

足の長い黄金虫と神社

家から神社が見える。 気がついたとき(目があった時)はいつも、ベランダからお辞儀して挨拶する。 もちろん、お辞儀の角度はもちろん45度だ。 (私の腰の柔軟のなさで45度ではないかもしれないが) 私は神社で基本的に願い事は言わない。 それは昔からだった。 学生時代に友人と神社に行った時 「願い事は言った?」 と聞かれ 「え?いつも挨拶だけだけど」 「えっ!!神社に来てお願いしないの?!それじゃ叶わないよ〜」 いやいや特に願い事のないしょうもない人生なのだった。 神社を訪れた時は「こんにちわ」の他に「こういうことがあって、無事に終わりました〜」などの近況報告はしていた。 だが、ここ数年は願い事をしていた。 それは「親戚の子が受験に合格します様に」や「友人が資格検定に合格します様に」と言ったものだった。 願い事というものは、他人から願われたときにパワーを発揮する気がして、私は自分のしょうもない願い事より、誰かの目標が叶う方が嬉しかったりするのだ。 今日も願い事をしてきた。 友達、ご近所さん、親戚、実家、私と関わった方々が健康で幸せであります様にと。 私はお賽銭をいつもピカピカの100円一枚と決めていて、この100円一枚でどうにかなることでもないだろうが、神様にお願いしてしまうのだった。 この頃は「神様仏様、それはなんの試練なのですか?!」と叫びたくなる様なことが周りで起きがちで、私は心痛めている。 おみくじを引いてみたが心痛は続くとのことであった。 「どうにかできることがほとんどないから、流れるままに、生きるしかない」としみじみ思ったのだった。 今日の神社はいつもと違った。 今日はなんと言っても6月最後の日なのだ。 新年が始まって、半年たってしまった。(自分を振り返る日なのだ!) この半年の穢れを落とすべく、葦の輪をグルグルと回って、神事に参加してきた。 この神事、誰でも参加できる。 平日であると人出も少ないのだが、今日は日曜日だけあって人が多かった。 神社の前に列ができていて、私もそれに並んだ。 すると後ろの年配の方が 「大きな虫がついとるよ!」 と言って取ってくれようとしたのだが、虫はくるりと私の背中からお腹の方へ上がってきた。 私はこの列をいいことに小さなメモ帳に並んでいる人たちをスケッチしていたのだが、そのメモ帳で下に落ちる様に虫を払ったのだった。 すると近くに並...

「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」川内有緒(著)、読了。

「絵はいいよね。すぐ見てわかるから。文だと読むまでわかってもらえない。」 同級生がいつだか言っていた言葉だったと思う。 要は、視覚的にすぐ察知できるから伝わりやすくていいよね!っていうことなのだろう。 この本に出てくる白鳥さんは目が見えない。 でも、白鳥さんは美術館へ行き、作品を鑑賞する。 体の弱い私は横になって、昨日「名探偵コナン」を公式youtubeで見ていたのだが、私たちの脳はなんと思い込みでできているのだろうかと思ったのだった。 同じ大きさのバームクーヘンが並べ方で、片方は大きく、片方は小さく見えたのだった。犯人はそのトリックを使ったのだが。 頭の片隅にあった名探偵コナン。 そして、この本を再度読み始めると、著者の方が書いていた事にも、納得がいって。 今まで生きてきた経験と知識を総合して、私たちがそのものの価値を判断しているとしたら、今、世の中が「良い」と言っているものは本当に良いものなのかと疑問を持ってしまう。 これは「高いものは美味しい」という勝手な思い込みもそうじゃないのか。 自分が食べたいものが美味しいものであって、高いからと言って美味しいものとは限らないし。 個々の価値基準の難しさよ。 この本は色々な問題や感性が書かれていて、著者の有緒さんもすごい人だが、友人のマイティ、白鳥さんもすごい人だった。 私は語彙が少ないのですごいことを本当に「すごい」という言葉でしか表現できないのだが、とにかく面白いのだ。そして、優しい。 自信を持って「また読みたい」と言える本だ。 白鳥さんの言葉や価値観に元気をいただいた。 著者とその友人たちはコロナ禍に入ると、白鳥さんと美術館へいけず、オンラインで美術館を巡ることを白鳥さんに提案するのだが、白鳥さんはそれを断る。 著者としては、声を出して作品について伝えたり、感想を言い合うことは目の見えない白鳥さんにとってはオンラインでも同じだろうという考えであったのだが。 彼は人と対面し、その場の空気や五感で感じるものも大切にしており、オンラインで言葉のみの接し方では自分が希薄になっていくように感じるとのことだった。 私はそれを読んだとき、ハッとした。 私はここの家へ一人で引っ越してきてから、独り言が多くなった。しかもコロナ禍で家に一人でいることが増えて、さらに独り言が多くなったことを感じていた。 ご近所から見たら「頭のおかしい人...

筑後川の暗い過去(尾花さんの茶色い草の絵)

私は金曜日に、 尾花成春さんの絵を見たブログ を綴ったのだが、筑後川の暗い部分を今日知ったのだった。 これは、九州の筑後方面の方々なら知っていた情報だったのだろうか。 筑後川中域では江戸時代から奇病が発生していたらしい。 そして、つい最近それが制圧されたらしいが、インターネットで調べるとまだ日本の一部や東南アジアでは生息しているところもあるとのことであった。 奇病撲滅への長い道のり:国土交通省 筑後川流域とミヤイリガイ 病院へお薬をいただきに行った時に、「筑後川の茶色の草の絵が怖かった」という小学生のような感想を医師にこぼしたところ 「昔、筑後川はね、 日本住血吸虫というのがいて、寄生虫に感染する人がいたんだよ。小さな貝に寄生している虫なんだけれど。それを駆除するために除草剤なんか撒いたりしたんじゃないかなぁ。だから、茶色の草なのかもしれないよ。あなたがそんなこと言うまで 日本住血吸虫のこと忘れていたよ。」 尾花さんが描く筑後川のあの茶色の草は、、、 それで草は茶色だったのかもしれない。 私はギャラリートークなども聞きに行ってないので、詳細は知らないけれど、そんな歴史の背景があって筑後川を描いたというならば、芸術作品という価値と合わせて、資料として残すべきかもしれないと思ったのだった。 何より、医師のその話を聞いたとき 「尾花さんは寄生虫がいるところに行って描いていたのか?」 私は会った事もない尾花さんの体を心配したのだった。 尾花さんが川の中域で描いたのかは私は知らないが、私だったら、上流・下流でも描く度胸がないだろう。 描きたいと思い、絵が描けるということは幸せなのだ。 たとえ、生みの苦しみが伴おうとも、自分が描かねばならないと自身に根拠のない使命を感じたものは描かねば生きていけない。 そのくらいの気迫が作品に感じられたら、その作品は成功なのであるが。 作品を見たとき、私の鈍感な心は震えなかったけれど、尾花さんの作品群はスッと入ってきたから、違和感がないのだと思う。 違和感がないというのは、作品の製作者に技術があるという事だと思っている。 尾花さんの筑後川シリーズは、私には怖い絵だった。 美術館のサイト にある解説によると「 また、1972年から尾花は15年以上にわたり筑後川の草むらを描き続けました。その背景には、自分を生み育ててくれた筑後平野の根源に迫りたいと...

「ちくごist 尾花成春」展、鑑賞。(@久留米美術館)

私は個人的に茶色を使う作品が苦手だ。 描くのも見るのもどちらも茶色は苦手だ。 唯一、茶色を使っているのにかっこいい!!と思う画家は、アジサカコウジさんだ。 茶色でいいなと思う大御所だとゴーギャンだろうか。 でも、シーレはすごく苦手だ。 私の中の茶色は「死期」「衰退」を思わせる色なのだった。 たまに、ふらっと入った画廊ですごく暗そうなオーラが漂う作家さんで、絵が茶色だったりすると「この方は大丈夫なのか?病院に行かれた方がいいのではないか?」と真剣に心配してしまうのだった。 それくらい私の中では茶色というのは「死期」「衰退」と直結したものなのだった。 洋服でもアースカラーが流行っていた時があったが、若い人が茶色の服を着ているのをみると「若いんだから、土の色ではなくて綺麗な色を着なさいな。もったいない」 と余計なお世話なことを思っていた。 でも、それは最近のことである。 私が歳を取ったからそう思ったのだ。 実際、私は若い頃、茶色(ベージュ、アンバー)をよく着ていた。 年齢を重ねると「綺麗な色の服を着たい」とそう思うようになった。 それは自身が茶色になっていっているからかもしれない。 やはり、「衰退」なのであった。 尾花茂春さんの展覧会を見に行った。 福岡県、郷土の画家である。 うきは市のご出身で、息子さんが同市に尾花さんの作品を展示している画廊を経営なさっているようだった。 今回の美術展は、私の自宅からは遠い美術館だったので、電車や順路などを調べていたら、そのことを知った。 私はこの展覧会のフライヤーを見た時、正直 「あまり見たくないな」 と気が進まなかった。 それは茶色の絵だったからだ。 うねうねと何かが描かれていて、それがひどく不気味に思えたのもあった。 そのうねうねは筑後川の草だった。 緑ではない、茶色で草が描かれているのだった。茶色は草が枯れている色だ。 やはり私には「死期」「衰退」を感じるのだった。(実際、この筑後川のシリーズは、川の開発が始まって、草が無くなったようだ。) 美術館の前にあった看板は、茶色の草ではなく黒背景の石の絵だった。私はフライヤーの草の絵より石の絵が好きだと思った。実物の絵も見たけれど、石の質感がきちんとテクスチャで表現されていて、見ていてしっくりきた。 これは好みなのだろうが、石の絵の方が好きだ! こちらに絵がスッと入ってくるというのは、...

「ゴッホが見た星月夜 天文学者が解き明かす名画に残された謎」ジャン=ピエールルミネ(著)、読了???

先月、ゴッホ展を見た。 と言っても、本物の作品を見たわけではない。 デジタルで展示してあるゴッホ展だ。 このデジタルゴッホは、私の大切な友人が旅先で「ゴッホを見てきた」と言っていたものと同じだと思う。 私はそもそも実物ではないので、この展示を見るつもりはなかったのだが、なかなか行く事のないその地域に用事があって、なんとなくふらっと立ち寄ったのだった。 こんな公共の場で、デジタルの作品を見るのはチームラボの作品以来ではなかろうか。 私は今はアナログの絵を描いているが、デジタルで何かしらデザインをする事が好きで、今でもデザインやデジタルにはアナログの絵画と同じくらい興味がある。 その展示は、美術館ではなく科学館で展示されていた企画展であった。 しかも会期が長いようだ。 絵は美術館と同じで、期間によって展示を変えるらしい。 デジタルだから展示入れ替えは楽そうだな、、、。(なんとなく) デジタルの絵であったが、驚いたのはゴッホの絵には、どの作品にも「情熱」が感じられるという事だった。デジタルであってもそれが作品の中に見えたので、私は驚いたのだった。 ゴッホ展は昨年、実物を美術館に見に行った。 実物のゴッホの作品もやはり良かったが、そのとき以上にデジタルのこの画像にもゴッホの作品群には「情熱」があるということ感じたのだった。 「情熱」という言葉より「執着」という言葉の方がわかりやすいかもしれない。 ゴッホが執拗にそのものの向こう側を描こうとした事がわかった。 生でないデジタルに、である。 画像になった事でより客観的にそういうものを見れた気がしたのに驚いた。 そういえば、私は自身が作品を作成するときは、途中途中で写真をとる。そうして、レンズを通して自分の作品を客観的に見るようにしている。 「どうしても描けない」と行き詰まった時は、絵に布をかけて数日放置して、数日後に布を取ってまたじっと眺めたりもする。 このデジタル「ゴッホ」は、実物ではなく画像だったからこそ、客観的に「情熱」を見て取れたのだと思う。 私がなぜそもそも、先月のデジタルゴッホ展(展示の正式名はなんというのだろう)を振り返っているかというと、本を読んだからだ。 その本の感想は、特にない。 ひどい本だったわけじゃない。 私が忙しくしていたのと、寝込んでいたときに読んだので殆ど内容の記憶がないのだった。 (「読んだ」とい...