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11月, 2024の投稿を表示しています

「鬼滅の刃」1〜23巻 吾峠 呼世晴(著)、読了。

私はいつも流行について行けずにいる人生なのであるが、とっくの昔に連載が終わったらしいこの漫画を読んだ。 きっかけは博物館に展示されていた「柱展」を見に行ったことである。 この漫画のあらすじを知っていらっしゃる方は、「柱」が何かご存知であろう。 ざっくりと説明すると、鬼を倒す強い剣士9人が「柱」と呼ばれる。 この「柱」の中には、主人公が入っていない。 主人公不在の展示など、私はそれだけで驚いた。 普通は「主人公ありき」だと思うのだが、『鬼滅の刃』という物語が他と違うのはこういう点なのかもしれない。 物語内容はざっくりとしか把握しておらず、数年前にマンガの一巻を読んだのと、何かしらでアニメを数話だけ見たのと。 そんなに予備知識もないまま、私は柱展を見に行った。 私はなぜこの展示を見に行ったのかというと 「何が多くの人を惹きつけるのか」 ということが知りたかったから。 結局はっきりわからなかったが、私の想像ではキャラクターそれぞれの人生がしっかりとあって、誰もが何かしら共感する部分を持っているのではなかろうかと。 展示の柱各々に年譜が展示してあり、柱たちは他より超越した力を持ちながらも、人生の荒波を経験してきて現在に至っていること。 見る側に、何かしらの共感する部分があるのではなかろうか。 入場時にカードを頂いたのだが、自分が欲しい柱のイラストが選べる。 私は「胡蝶しのぶ」さんにした。 (やはり人気は煉獄さんらしい。) 本当に大した予備知識もなく展示を見に来たのだが、このカード、裏面にQRコードがあり、そこにアクセスすると胡蝶しのぶさんの声が聞けるのだった(内容については触れずにおく)。展示の会期中だけアクセスできる。 話は戻って、展示がきっかけで漫画を読んだのだが。 私は23巻が終わっているのに驚いた。 天下のジャンプで、これだけの大人気漫画であれば、大人の事情で長い連載を強いられそうなものだが。 きっと担当の方も物語を見極める素敵な人がついていたのだろうと思う。 この漫画を読み終わった時に、私はウルトラマンを思い出していた。 私の中のウルトラマンは怪獣を倒すために、キックの練習などを地道にしていたのが記憶に残っていて。 「あんな戦いをするためには、やはり練習をするのだな。」 と幼心に感動したのだった。 当時、小さいながらも「いきなり強くなったわけではない」ということを...

「そぞろに描く アジサカコウジインタビュー」藤本明宏(著)、読了。

大好きな作家!! アジサカコウジさん〜!! 昨年、初めて個展に伺ったときは、本当に浮かれてしまった。(もちろん、今年も浮かれてしまった) ご本人様がいらっしゃるとは思わなかったのだ。 ギャラリーに作家さんが会期中は常に在廊している場合もあれば、土日などの人が多そうな日のみ在廊していることもあり。 アジサカさんは後者だった。 私は昨年よりこの書籍をせめて買いたかった。 「せめて」と言うのは、書籍だけではなく、アジサカさんの作品も買いたかったからだ。 昨年は、アジサカさんが在廊をしているとは知らず、絵を見にいき、ご本人様自ら声をかけてくださった。 「おっ?2回目かな?」 と言われ 「初めてです!」 と返した私。 誰かと似ていたのだろうか、笑!! 今年はアジサカさんが在廊している時を狙って行った。 本を購入して、その場でサインを書いていただいた!! 「アジサカさん!!サインください!!」 今日から、この本は大切な宝物になった!!!!!! とにかく憧れの人なのである。 この本は、アジサカさんが執筆したのではない。 藤本明宏さんという方がアジサカさんにインタビューした内容だ。 (インタビューをした方もかなりのアジサカさん好きに違いない!!) 私は最初にこの本を見た時、タイトルがすごくいいなって思った。 読むと確かに、アジサカさんは「そぞろに描く」なのだった。 「そぞろ」という言葉は学生時、古文で皆、習ったのではなかろうか。 改めて意味を調べてみると、、、、 そぞろ( コトバンク より引用) 1  これといった理由もなしにそうなったり、そうしたりするさま。なんとなく。 2  心が落ち着かないさま。そわそわするさま。 本によると、アジサカさんは自然に生活の一部として絵を描き、そして描かないと落ち着かないのだそうだ。 ぴったりな言葉だなと思ったし、私もそうなりたいなとも思った。 「息するのと、同じなんよ。絵を描くのは、ご飯食べたり、トイレ行ったりするのと同じ。」 アジサカさんはそうおっしゃっていた。 この本は、アジサカさんが質問に答える形式で綴られているのだが、バリバリの九州の方言で綴られてある。つまり、文章チックな言葉ではなく、日常の話し言葉なのだ。 そんなで、私も方言で感想を書いてみたいと思ってしまった。 九州の言葉だったから、よく聞く言葉で親しみがますます増...

謎の果物(今が旬らしい?!)

私はこの間、 ブログ でおミカンを買いに友人と遠くの直売所へ行ったことを書いた。 その直売所で謎の果物を見た!! 青くて(深緑というべきか?) 卵よりも小さく ツルツル 「今が旬」 「キーウィのような味」 とポップには書いてあったのだが、謎すぎてミカンだけ買ったのだった。 あまり情報が書かれていないところを見ると、地元では有名な果物なのだろうか。 無事におみかんを買って、直売所を後にした時、友人が 「せっかくだから夕日を見て帰ろう。最近、夕日見て、ぼーっとすることなんかないから、久しぶりに見たい」 と言って、海の方へ車を走らせた。 車窓から見える景色は真っ直ぐな地平線だった。 このままずっと海の横をこうして走っていたい。 青と美しい線がずっと続く。 そうしているうちに、夕日がきれいに見えるスポットに到着したのだが、そこに道の駅があった。 夕日が見られる時刻まで、少し時間があったので道の駅を覗いてみたところ、、、 謎の果物!! ここにも置いてあるではないか!! 「半分に切ってスプーンで食べてください。少し柔らかくなった頃が食べごろです」 ここのポップには食べ方の指示まで書いてあるではないか! 直売所と同じく「キウイのような味」ということも書いてあった。 実の大きさは直売所よりは小さかったが、私は思い切って一袋買ってみることにした。 卵の半分くらいの大きさの実が10個ほど袋に入っていた。 果物の名前は「フェイジョア」という。 友人に3個お裾分け 知り合いに3個お裾分け 残りは私がいただくことにして、 柔らかくなりかけているものが一個あったので、帰宅後、早速包丁で半分切って、食べてみた。 味は、ビタミンが沢山入っているようなキウイに似た味だった。 ただ私はなんとなくではあるが、イチジクのような風味を感じた。 でも、今まで生きてきて初めて食べる味。 私はいつもチャレンジすることから遠ざかっていた人生だった。 以前の私なら、多分、この果物を買わなかっただろう。 友人に聞いてみたところ、友人も食べたことがないとのことだった。ご家族分3個お裾分けしたから、ご家族で話のタネになるといいな。 いつもの道。 いつもの食べ物。 そういう人生を歩んできたのだが、たまに自分の人生には現れ無さそうなものに出会う。 今までは素通りしてきた。 これからはちょっとチャレンジしてみようと。そう思うよう...

「山本」という名のミカン

私自身はあまりそこまで食には、こだわりがない方だと思っている。 体が弱い故に、食べられないものもあるが、それもあまり気にせず、死に至るような食べ物ではない限りは食べる。 この頃でいうと、新米を食べたが、去年の米も同様に美味しく感じるという幸せ者がこの私なのだ。 そんな風なので、あまり旬にも敏感ではない。 同級生の友人が「みかんを買いに行きたいとよ」と言う。 今年はまだみかんを食べていなかった私は、お供することにした。 「山本」と言う品種が甘いとよ。糖度13!!」 と友は言う。 どこまで行くのかと思いきやS市であった。 なんと他県まで、おみかんを買いにいくのだ!! 友人はとても「食べること」が好きで、インスタグラム を始めたきっかけが「その店のホームページがなくインスタグラム での情報しかないから」ということだった。 この頃はどこの飲食店もホームページなどは作らずに、インスタグラム をホームページ代わりにしているようである。 時代だなぁ! 私は、自分のご近所テリトリーから殆ど出ない人間なので、遠くに行くことは冒険なのであった。 ワクワクする。 私は、友人のこんなところが好きだ。 おみかんを買いに遠くまで行く。 その行動力。 いいなぁって思う。 何か観光するついでにみかんを買いに行くと言う訳ではなく、みかんが目的というのが素敵すぎる。 何時間かかっただろうか。 海を跨ぐ橋を三つ越えて、おみかんが売っている直売所についた。 たくさんのおみかんが並んでいた。 ただ「みかん」と表記のあったみかんはなんと100円(税込)であった。 私は買わなかったが、目的の「山本」と食べ比べるのに買ってみたら良かったと思った。特別な名前がないこの「みかん」もきっと美味しかったに違いない。 次は来年、友人と私の都合が合えば、この直売所の「みかん」に会えるに違いない。 「山本」はしっかりと買った。 二袋。 一つはお世話になっている方にお裾分けぶんに購入した。 友人は、大きなエコバックに「山本」をたくさん買い込んだ。見ていて、とても微笑ましかった。「弟の家のぶん、両親のぶん、姪っ子のぶん、、、、」そんな風に言いながら。 「みかん買いすぎたーーー2000円もみかん買うっておかしいかな??でも、もう買っちゃったよーー」 と言いながら、帰りは嘆いていたが、私は 「みんなが喜ぶお金の使い方だから、後悔しなく...

人生の師匠と私(1)知らないお母さんの唐揚げの話

このところ、スーパーで師匠と出会うことがなくなった。 私の人生の師匠は、いつも私にとって、今、その時に必要な話をしてくださる。 師匠は人に話してきたことを冊子にまとめていた時もあったようだったが、私はその冊子のことを知らない、。 師匠が言うには 「冊子はその時に必要だったから。「今」必要ではない話を誰かに伝えても仕方ない」 ということで、処分してしまったらしい。 私が一度も見たことも読んだこともない冊子。 配っていたのかと思いきや、作って部屋に置いておいたらしい。 師匠を訪問してきた人が読んだりもしていたらしいが、ある日、なくなったこともあったらしい。 「今は、今だよ。僕には必要なくなったんだよ」 私は師匠とこれまで話をしたことを備忘録として残しておこうと思う。 思い出した話をつらつらと書いておこうと思う。 そして、時々、自分で読もうと思う。 小さな哲学がある。 師匠の話にはそれがあると私は思っている。 「唐揚げがね、美味しかったっていうから、また作ってあげたらしいんだ。」 唐揚げの話だった。 師匠の知り合いの女性の話。 息子さんが「唐揚げが美味しかった」というから、息子さんのその言葉を思い出して、その日は夕飯に唐揚げを作ったそうだ。 作ったお母さんは、特に唐揚げを食べたかったわけではなく、息子が喜ぶだろうと思って唐揚げを作ったとのことだった。 すると、息子さんは 「今日は唐揚げを食べたい気分じゃない」 と言ったそうだ。 お母さんとしては、息子さんが喜ぶだろうと思って作った唐揚げだった。 お母さんも唐揚げを食べたい気分じゃなかったのに。 どこの家にでも、よくある話である。 特に変わった話でもない。 「この話で、注目すべきは自分が食べたいものを作ること!ということなんだ」 師匠がそう言った。 なんじゃそりゃ!!! 私はそう思った。 ただ普通に聞くと「お母さんかわいそう」と思って終わる話の内容だと思う。 師匠は言う。 「自分が食べたいものを作るのが一番いいんだよ。息子さんが食べたくなくても、自分が食べたいものを作ったのだから、余ったとしても美味しく食べられるでしょ?」 「自分を大切にしなきゃいけないよという話だよ。自分を大切にできないと人を大切にできないよって話」 そして「相手に期待してはいけないという」そういうこともこの話の要になっているのだった。がっかりしたお母さん...

野球と私(6):応援したいと思う気持ちと経済

 この夏、プロ野球に興味を持つようになって、 「ホークスを応援したい!!!!!」 と思うようになった。 呑気にラジオを聴くことから始まった、私のささやかな趣味。 プロ野球試合の視聴。 やはり、いつもいつも聴くようになると、次に来る欲望は「見たい!」なのである。 私はこの部屋で、いつも倒れていることが多い。 立っていられないような時は横になる。 座っていられる時は座って大抵は本を読む。 そして、最近は座っていられる日は小さなハガキサイズの絵を描くようにした。 私は誰かのために何かをしたい・絵を描きたいと思っていたのだが、こんな感じであるので、自分がまだ寝込むことが多いまま暮らしていることを忘れていた。 「まず自分を癒してからじゃないと!誰かにするためには自分が先ですよ」 と、とある作家さんに言葉をかけていただいた。 その作家さんが2025年の年始のグループ展の申し込みを勧めてくださったのだ。 春から夏にかけて、心が折れかけていたが、こうして救いの手が差し伸べられて。 この夏プロ野球に触れたこと うちにレモンの木がやってきたこと それで生きる気力が湧いた。 絵を描く機会をいただいたこと 少しずつであるが、前に進んでいると思っている。 ホークスを応援したいと思った時、 「お金が必要だ!!」ということ強く感じたのだった。 メガホン タオル ペンライト うちわ グッズ レプリカユニフォーム 選手コラボの弁当 etc、、、 これらにお金を使えば、ホークスを応援することにつながる。 もちろんチケットを購入し、観戦するのは基本的なことだろう。 私は今まで、食べていけるだけあれば良いという考えで生きてきた。 食いつなぐためだけにできる仕事を何でもしてきたつもりだ。 「お金を稼ごう!」 そう思った。 普通の人は「何を言っているのだ?当たり前だろう」と思ったかもしれない。 私の人生はというと、当たり前のことが当たり前にできなかったことが多かった。 でも、その分、私は当たり前のことが普通にできる方々の知らないことも多く知っている良い人生だと思っている。 大人になっても虚弱だった私は医師から「いつか働けなくなる日が来るかも。」と言われていた。 無理して馬車馬のように働いていた。 「医師の予言通りになりたくない。」 そう思って、ずっと走ってきた。 私は現代用語で言うと「ワーキングプア」...