投稿

8月, 2025の投稿を表示しています

「むらさきのスカートの女」今村夏子(著)、読了。

なんと気持ちの悪い。 感想も書かない方がいいのかもしれぬ。 わたしは世間とずれたところがあるので、この感想は世間的には正しい感想ではないと思う。あくまでも私個人が感じたことであって。物語は秀逸であると思う。 とりこぼされた世界で生きる私は、この気持ち悪さを話す人もおらず、自身で消化できずにいる現状を文章にしておく。 この本は2019年の芥川賞の作品らしい。 著者の紹介欄を読むと、他でも多く賞をいただいていらっしゃるのであった。 昨日、外に出る用事があって、久しぶりに図書館へ寄った。 このところ物語を読まないから小説を読みたかった。 図書館にはひとつ前のベストセラーコーナーなるものがあって、そこを漁った。 棚ではなく、ブックトラックに乗せられているからだ。 このところの気温変化に体がついていけないから、長編を読む気力と体力がない。 比較的厚みのない本を選ぼうとして、その中から表紙で選んだのがこの本だった。 タイトルが「むらさきのスカートの女」であるのに、表紙の絵は黒の水玉柄の大きな布の中に子供が二人にいるような絵である。二人分の足だけが見える。 帰宅後にきがついたのだが、表紙裏は黒いリンゴの絵だった。 なんだかいけないものを借りてしまったのではないか?そんな気持ちになった。 わたしはこのところ、キャンバス作りばかりしている。 キャンバス下地が乾くのを待つ休憩時間に読書しようと決め、、、、 「ここで途切れるのも」と思って、そのまま読み、 二時間で読んでしまった、、、。 むらさきのスカートの女は、客観的に観察されて物語が進むのだが。 読み進めるうちに「このむらさきのスカートの女をずっと見ていて観察している人が気持ち悪い」と第一の気持ち悪さにぶち当たり。 第二の気持ち悪さは、職場の正義をそのまままねしたむらさきのスカートの女であるが、それがあだとなり周囲から孤立してしまうこと。 第三に、結局自分のことしか考えていない職場の局長とチーフたち。むらさきのスカートの女も自分のことしか考えていない。 この本のすごさは、人間のほんしつをこんな風に物語で示したことだと思う。 なるほど「芥川賞」だと思う。 感受性が強い人はきっと感じるであろう。 人間という動物の傲慢さを。 それを「むらさきのスカートの女」という人物を通して物語にしてあるのがすごい。 私は気持ち悪くて仕方なかった。 この本...

「美人」柘植伊佐夫(著)、読了。

タイトルだけ見たら、小説のようだが。 小説ではない。 この本も、何となくタイトルが気になって予約を入れて借りた本だ。 表紙はグレイのベタで、白い文字で左上に「美人 Bijin」とある。 右上に細いフォントで著者の名前「柘植伊佐夫」とある。 余白を存分に使った装丁だ。 こういう装丁デザイン大好きなのだ。 図書館で借りた本なので、分類番号を見てみる。 小説はたいてい「913」 これは「778」 7分類は芸術の分野となる。 著者が関わった仕事を見ると、どの人も知っているドラマや映画ではなかろうか。 「おくりびと」 「龍馬伝」 「どうする家康」 「翔んで埼玉」 「シン・ゴジラ」 「岸辺露伴は動かない」 などなど、、、これだけではない。240以上の物語に関わってきた方である。 何を生業にしている人なのかというと、巻末を見ると肩書きが多くある方だ。 メイクやヘアメイク、衣装など。 こういう言葉を並べると、おのずと「ファッション関係の人」というイメージが掴めるのではなかろうか。 巻末の紹介による肩書きであると「人物デザイナー」ということだった。 物語に合う登場人物の衣装や髪型をデザインしていくお仕事をなさっていらっしゃるのだった。いや、もっと広範囲に及ぶ。その舞台の素材だったり、テクスチャだったり。全体の画だったり。 とにかく、著者はこの肩書きの第一人者らしい。 ドラマ「龍馬伝」からついた肩書きらしいので、最近だと思う。 映画やドラマの世界を私は詳しく知らないが、多くの方々で制作するものだから色々と分業だったのだろう。 本来ヘアとメイクが一緒で一人で担っていいはずのところ、今までは別だったり。物語が土台にある限り、本来、見た目を左右するものは別々のデザインであっていいはずがない。 そこを統一させる部分を担っているの仕事が「人物デザイナー」らしい。 その全体画のテクスチャや色、登場人物のキャラクターや服装などの統一感を。 この本は「美人」をテーマにして書かれた本になる。 著者はもともと美容師の職からスタートして、ヘアメイク、それからファッションなど自分が人生に持つテーマ、やるべきことを思っていることを広げていったようだ。 「美人」をテーマにこんなに分厚い本は、何と読み応えのある。 読むのに時間がかかった。 著者は「美しさとは何か」「美人とは何か」について、外見や内面、日本という国、...

なくなってしまった教科?、美術

私は、以前よりSNSを見ることが少なくなった。 ただ単に「疲れてしまうから」という理由なのだ。 デフォルトで倒れていることの多い私がSNSに時間を使ってしまうと、絵を描く時間がなくなるのだった。 そもそも心も体も弱い私には向いていないツールなのかもしれない。 SNSを見ていると 「みんな、絵を描くのが好きなんだな」 とよく思う。 アマチュアからプロまで、色々と流れてきて驚く。 絵を描くのが好きな人が多くて嬉しい。 私もアマチュアではあるが、絵を描くことが大好きだから。 このところ、驚いたことがあった。 それは「中学校で美術の教科がない」ということだった。 なぜかというと、先生がいないのだそうだ。 物理的にいないので、本当に授業自体がないらしい。 何だそれ!!!!! 美術で腹はふくれないが、ないと困る。 文化や美術が後世まで残っているという事実を見るとそれがわかるのではなかろうか。 「美術の先生になりたい!」という環境が私の愛する県にはないのか、、、。 私が学校を卒業する頃は、教師という職業の競争率が高くて、なりたくてもなれない人が多かったと記憶しているが、、、。それは教科によるのか?? 今はなりたい人がいないのかもしれない。 私は中学校の現場に携わっているものではないから、仔細は何とも言えないが。 多感な時期に、美術という教科が学べないのはいかがなものか。 最近、それを知って、ショックだった。 AIが色々作ってくれる時代にはなった。 「それでいい」という人も多いのかもしれぬ。 何かしらを生み出すというのは、その過程も面白いのだ。 AI任せに作るものはその「過程」を省いた状態だと思う。 動物として人間は退化の道をたどっているように私は見えるのだが、どうだろうか。 若い時に「美術」というものに関わるという道を提示してくれる機会がないというのは、ちょっといかがなものか、、、。 同じ国の中で、教育に差が出てしまうのは悲しく思う。ましてや、義務教育なのだ。 中学生の年齢の頃は、ちょうど人格を作っていく時期になる。 より多くのものに触れて、自分の中に残すか残さないかふるいをかける時期でもある。 選択肢は多い方がいいのだ。 何とかできないものかな、、 私は美術という教科が好きだったが、どうなのだろう。 世の中的には「なくてもいい教科」という立ち位置なのだろうか。受験で美術が必要に...

炭治郎の技とキャベツのせん切り(映画「鬼滅の刃 無限城 第一章」の感想)

私は何度も「流行にうとい」と周りに伝えてきた。 ただ今年の私は違う!!違うぞ!! 世間の流行にちょっと乗ってみようと思った。 「あまり自分が興味がなかったことにもチャレンジしてみよう。」そう思ったのだ。 歳をとったのだろう。 やってみたことないことしておいた方が良い、そういう危機感がある。 人生は短い。(想定外で少し長くなったけど) 博物館の展示「『 鬼滅の刃』 柱展 」を見たのがきっかけで 映画「『鬼滅の刃』 無限城編 第1章」を見に行った。 「柱展」の展示を博物館で見てから 漫画1〜23巻を読み アニメを少し見て 映画を見た(←今、ここ) という流れで映画を見てきた。 世間の方々の何をかりたてて、連載が終わってもなぜ熱が冷めずにいるのか。 ずっと気になっていた。 もう少し以前であると、映画「『鬼滅の刃』 無限列車編」も話題になっていたが。 私は、漫画を先に読んでしまっているので結末は知っている。 ただ2回ほどしか繰り返し読んでいないので、部分部分の詳細を覚えていない。 だから、気持ち新たに映画を見ることができた。 主人公の炭治郎が鬼(鬼の名は「あかざ」と言う)に向かうときに、ぐるぐる考えていたことを見て、私は「キャベツのせん切り」を思い出していた。 私は以前、元日本料理人から「キャベツのせん切り」を教えていただいたことがあった。 「包丁をまな板に押し付けるような力の入れ方をしてはいけない。包丁や腕にいかに力を入れずに切るかを学びなさい。そうすれば、長時間切っていられる。余計な力をかける必要はないのだから。」 確かに肘を支点として腕を動かすと力を入れずに、包丁の切れ味だけでキャベツをずっと切っていられるのだった。 ただし、これは包丁の切れ味が良くないとダメだ。 包丁の手入れをかかさずにする必要がある。 道具の手入れの大切さ。 そして、いつもいつも全力を出していては最後まで乗り切れない(戦えない)こと。 それと、肘を支点にするという技術が必要になる。正しい姿勢でキャベツを切ると本当に楽に切れてしまうのだ。ただ、これは天才でない限り、ひたすら何度も練習が必要となる。 炭治郎が考えていたこととキャベツのせん切りは同じではなかろうか。 私は勝手にそんなこと思いながら見ていた。 『鬼滅の刃』の物語の良さを周りはどう思っているのか知りたくて、たまに会う機会のある美術作家さんた...

「落雷と祝福」岡本真帆(著)、読了。

短歌って何だったかな? そんな私の知識のなさから読み始めた。 学校で習ったはずなのに、五七五の俳句しか思い浮かばない。 それで検索してみたら、、、 短歌とは五七五七七。 「私にはいまいち、リズムが取れないあれか!」と思い出した。 五七五に七七が追加されるだけで、なぜ苦手意識を持ってしまうのかは謎だが、私はあれが苦手であった。まともに作れない。 ただ誰かが作った歌を読むのは好きだ。 短歌の本だと、穂村弘さんや笹井宏之さんは時々読んだりしたことがあった。 短い言葉の中にキラリと光る言葉を閉じ込めねばならない。 それが俳句や短歌だと思う。 体調が芳しくなく長い物語が読めない時、短歌や俳句を読むと私に小さな物語を見せてくれる。 この本はタイトルがなんとなく好きで図書館から借りた本だ。 サブタイトルとして「「好き」に生かされる短歌とエッセイ」と書いてあったのに、借りてから気がついた。 表紙の絵も好きだ。 表紙は水色のベタに、ぶしゅっとした白いワンコのお顔である。 多分、クマではないと思う。 著者の好きなものは「犬」だから。 著者の好きな18のものに対して、短歌とそのエッセイが綴られた本だった。 暑い午後。 台所の床が冷たかったから、そこを陣取って。 一日で読んだ。 空気が暑すぎて、とぎれとぎれでしか言葉も出てこぬ。 夏は苦手だ。 「PUIPUIモルカー」 「シン・ゴジラ」 『チェンソーマン』 「ハチミツとクローバー」 『女の園の星』 「RRR」 グミ(お菓子) 花を買うこと 「THE FIRST SLAM DUNK」 犬 『スキップとローファー』 ぬいぐるみ 『ゴールデンカムイ』 『ちいかわ(なんか小さくてかわいいやつ)』 酒 短歌 スピッツ 『A子さんの恋人』 こうして著者が選んだ好きなものを並べてみてみると、私と趣味が似ているかもしれない。 私が読んだことない漫画と見たことがない映画もあるけれど。 どんな本も目次をみると、どんな方がこの本を書いたか、察することができるのではなかろうか。 私はこのタイトルを見た時、ある漫画を思い出していた。 友人が持っていた漫画で、ドラマにもなっていた。 よしながふみさんの「西洋骨董洋菓子店」。 元ボクサーの神田くんがケーキを食べて、美味しさのあまり衝撃を受けるシーンがある。 その時の音が落雷だった。 それを思い出した。 漫画っていいな。そ...