投稿

5月, 2021の投稿を表示しています

野球と私(7):映画[REVIVAL」の観賞

イメージ
野球のシーズンが終わって、もう年末という時。 だが、しかし、なんと、映画があるのだった。 さすがソフトバンクホークス!! 抜かりなく、最後までみんなを楽しませるのだな! この映画はドキュメンタリー映画だ。 観に行ってきた! 今年のホークスのスローガンは 「美破!(VIVA!)」 だった。 この映画のタイトルをよく見ると「VIVA」という文字が隠れているのだった。 駄洒落といえば、駄洒落なのかもしれないが、私はこういうのは大好きだ! 優勝までの道のりをギュッとまとめた映画だった。 それは監督がどういう思いで、チームを率いていったかだったり。 どんな気持ちで選手が試合に臨んでいたかだったり。 日頃、どんな風に練習しているか。 そして、何より私たちが見ることのない試合中に待機しているあの選手たちの席からの目線を見ることができる映画なのだった。 私が印象に残ったことを以下に綴っておこうと思う。 ・印象に残ったこと(1)(山川選手の言葉) 山川穂高選手は、よくホームランを打つ人。そういう印象しかない。 私のささやかな趣味”プロ野球中継を聴く”(たまにアプリで番組を見る)はこの夏から始まったので、夏より以前の山川選手を私は知らなかった。 春からの開幕戦から数ヶ月は不調が続いていたようであるが、山川選手はリチャード選手の指導もなさっているようで、リチャード選手にこのようなことを言った。 「10回打ってみて、1回成功したなら、その成功を見ずになぜ失敗の9回の方を見るんだ? 成功した1回をまた打てるようにしたらいいんだから、成功した1回を見たらいい」 すごい人だ!!!!!!! 私は感動した。 コツコツと練習している様子も映像からも感じたし、何よりその言葉が私にもすごく染みた。 このように失敗よりも成功した方にフォーカスできるというのは何て素敵なんだろう! 確かに、ほとんどの人たちは失敗の方へ目を向けてしまうのではないだろうか。 「成功」の方へ目を向けるという時点で山川選手は、他とは違う何者かの凄さを持っているのだった。 素直に「わぁ!山川選手ってかっこいいな!!私もそんな風な姿勢で物事に取り組みたいな」と思った。 ・印象に残ったこと(2)(近藤選手の怪我) 近藤選手が試合でバッター席に立つ時は、いつもしなやかに筋肉を伸ばし屈伸などして準備をしているのを中継で見た。私は、バットを両手で...

「パーソナリティを科学する:特性5因子であなたがわかる」読了

今年は落ち着いたエメラルドグリーン 流行色ではない 占いのラッキーカラーでもない 今年の手帳と、私のその気持ちだ エメラルドグリーン  もう5月が終わろうとしているが 昨年、「来年の手帳はグリーン系だ!」と思って買ったのが、ほぼ日手帳のweeks。幡野広志さんが撮った写真が表紙だ。花びらがプールに浮かんでいる写真が美しい。 今年はグリーングリーンしている。 誠実に美しく、時を過ごしたいと思う。それで、私が選んだ色がグリーンだった。 元々大好きな色だ。でも、私の周りは何故かピンクピンクしているらしい。 私はピンクが好きだと思われているらしく、土産のもの(エコバッグ、マグカップなど)ピンクを頂くことが多い。気がつけば私の部屋はピンクが多めらしい。私もピンクが嫌いではないので、いつの間にか増えてきてしまったようだ。それにしては、恋愛などには縁がないけども、笑! 私の家族は私が小さい頃からグリーン好きだと知っているので、グリーンなものをくれる。それも、いつの間にか無くなった。断捨離した記憶はないが、なくなっていた。唯一残っているのは、玄関先の植木鉢か。グリーンだ。今年も新芽が出ている。毎年、手帳を買う時は「どんな年にしようか」と考える。私的には、今年は準備期間だと思った。体を休め、次に備える。そんな年だと思う。時間はあるから、絵を描くのは今しかないだろう。 でも、自分にこれが合っているのかどうかという事、そこまで考えずに生きてきた。今はもう、目の前に絵を描くことくらいしかないので、それをやっているだけだが。 私は神経質なところがあって、自分でも気にはなっていた。本を読んでいたら、神経質傾向を持つ人というのはほぼ遺伝らしい。それじゃあ仕方ないと、長年の謎が解けた気持ちでちょっと嬉しくなってしまった。自分で遺伝子は変えられないからな!自分で変えられないと分かったなら、自分が生きやすいように生きていくだけだ。 この本は人間のパーソナリティを5つに分類しているのだが、それぞれが高いか低いかというので、自分がどの特性が強いのかを知ることができる。5つというのは「外向性・神経質傾向・誠実性・調和性・開放性」である。私はこの5つの中では「神経質傾向」が高い。 神経質の傾向がある人の特徴とは ・根拠ない心配をすることが多い ・曖昧な言葉をネガティブに解釈する ・自己概念が不安定 、...

こおの食品知識(備忘録2:魅惑のアルカロイド飲料)

 実は昨年、食品関係の資格を取得した。でも、役に立っていない。 どんどん忘れていっている!笑(いや、笑えない!) ブログで書き残しておこうと思うが、本に載っている事だ。私が色々聞いたり、読んだりしたことを総括して記しておきたいと思う。具体的な引用先を昨年メモを取っておけばよかったが、私の記憶と資格試験の教科書の書き込みを頼りに、アルカロイド飲料について記しておく。備忘録である。 アルカロイドとは、 コトバンク によると 「 植物界に広く分布し、動物に対して特異な、しかも強い生理作用をもつ塩基性窒素を含んだ有機化合物の総称。」のことだ。薬理作用もある! なんのこっちゃわからん。 では、これを。 アルカロイド飲料とは? コーヒー、紅茶、緑茶、烏龍茶、チョコレートなどなど、、、、 飲料としての視点から見ると、「アルカロイド」がなんとなく見えてくる気がする。 私の中の「アルカロイド」は「嗜好品」のイメージだ。やめられない、止まらない、魅惑の飲み物なのだ!! ここから先はアルカロイドの薬理作用に注目し、カフェインについて記したいと思う。 上記、アルカロイド飲料は、誰しも飲んだり食べたりしたことがあるものではなかろうか。 私はアレルギーがあるので控えているのだが、コーヒーは大好きだった。今も大好きだけれど、カフェインレスしか飲まないようにしている。しかも朝だけだ。 紅茶はノンカフェインしか飲まない。いわゆるハーブティーだ。あとルイボスティ。 外出して、どうしてもカフェインが入っているものを飲まねばならない時は、ほうじ茶を飲むようにしている。ほうじ茶はカフェイン量が少ない方だから。(飲むのに一番、良いのは水だが!) 今は、外出先でもデカフェが普通にあるから、昔よりは楽な気がする。 私はカフェイン断ちを若い頃から何回もやって、失敗しているのだけれど、最近は本当にカフェインを摂ることがほぼない。 誰かと一緒に住んでいるとその人に影響されたりする。私は、カフェインを摂らない人とは出会ったことがない。今は誰とも住んでいないから、そういう環境の影響もあって、摂らずにいられるのかもしれない。 ちなみに カフェインレス←カフェイン少し入ってる ノンカフェイン←カフェイン入ってない。(※含有量が100グラムに対して、小数点以下くらいだったら「カフェインゼロ」と表記できるはずです) 参考:...

今日の落書き_210520

イメージ
  ビンさんの困り顔がかわいい。

「運のいい人にはワケがある!運を鍛える《ゴリラ》の法則」読了

 私は動物が好きだ。 ゴリラはもう日本には輸入できない動物だと聞いた。 友人の若者女子が「お金持ちが現れて、”私と付き合うなら、ゴリラ輸入するよ”って言ってきたらどうしますか?」と私にいつか聞いてきたのだが。なんと答えたのだっけ?そもそもなぜゴリラなのか?と聞き返した気がする。それは私とお付き合いしたいということか? なぜ、ゴリラなのか不明だが、今ならば「よろしければ、ゴリラではなくビントロング でお願いします。」と言うだろう。今、ビントロング が私の推しだ!! そんな動物好きな私だが、タイトルにゴリラがあったので、何となく図書館で借りてしまった。今の私にも向いてそうなタイトルだ。自分は運が悪いとは思わないが(だって、ここまで生きてきたもの、笑!) 幸運をつかもうぞ!!!ウホウホ。 「運なのにゴリラがタイトルにつく」怪しげな本の印象ではあるが、読んでみると「ものの見方、捉え方」に通ずる内容である。 要は考え方、アイデアの出し方、同じ考えに陥っていないか、そういう点検に役立つ本だ。それを点検することにより、我々は普段、自分では気がついていない習慣化されてしまった行動や環境から、チャンスを見逃していないかというのを振り返るのだ。そのチャンスを見つける手がかりを教えてくれる本だと私は思う。 このサブタイトル、なぜゴリラかというと、ある実験からとっている。(それは読んでほしい)本全体では、「ゴリラ」という言葉は「新しい考え方、アイデア、想像」を具現化したものとして使用されている。 運が良くなりたいなら「ゴリラ」を見逃さないことだという。私たちは、自然と自分が見たいものしか見ていない。例えば、ご近所でよく通る道のお店がなくなったとする。やがてお店が跡壊されて、跡地にマンションが建った。さて、そこには以前何があったのか? 「お店があった」とわかる人は、お店に意識が注目していたのだ。それは気にかけているからそこに「お店があった」とわかるが、気にかけていなければ、崩されたあとのその土地に何があったかなど覚えていない。 このように何も考えずに見たいものだけ見ているとそうなる。意識を時々研ぎ澄ますことが大事なのだと、私はこの本で感じた。 我々は集団の中にいると、その考え方に流されがちだ。人という動物は集団に属していようとするのは、集団にいる方が生き残る確率が高いからではないかと...

まっすぐな道

 うちの近所の川は、まっすぐ行くと海に出る。 それは引っ越して来た当時からわかっていた事だ。でも、川沿いをただまっすぐまっすぐに行った事がなかった。今日は、まっすぐ行ってみようと思った。 今までひたすら食うのに精一杯で、働いて来た。若い頃にあった希望は、なくなって、ただ食うためを考えて職を選び、進んできた。死のうと思った日もあったが、結局、怖くて生きている。 こんなに長い時間、自分を見つめる時間が本当になかった。私の思春期は、考える余裕がなかった。家族の顔色を見て、早く学校にいかねばならなかったし、家も学校もとにかくしんどかった。変な話、引きこもりが出来るというのは、ちょっと恵まれているのではないかと思う。 引きこもれるくらいだったら、ずっと実家にいたかもしれない。 そう考えると、こうやって一人で暮らせるというのは、結果的に良かった。 新しい日傘をさして、川沿いを歩いた。ここからまっすぐ、ひたすら行けばいいのだ。 まっすぐ歩いた。この間までいた鳥の群れは見かけなかった。夏になるから、遠くへ行くのだろうか。そういえば、鳥をよく見ていた割には、季節の移り変わりでどう過ごしているのか、注目した事がなかった。人間は注目しないとモノを見ないものだ。見えていなかった。 「こんな時間帯に??」と思うほど、少し人がいた。走っている人が多い。この日差しの中を走るなんてすごい。そういえば、私はアレルギーがあるから「海には行くな」と医師に言われているが、海に向かっている。仕方がない。まっすぐ行ったら、そこに海があるから。 満ち潮だったのか、近所の川も水が満ち満ちていた。少し家から遠くなって来て「ここはもう海の水だろう」と思いながら進む。 ずっと、まっすぐ行った先はどうなっているのか、どんな風景なのか、気になっていた。でも、ずっと行った事がなかった。ぐんぐん進む。いつもより速いペースで。ぐんぐん歩く。 学校が見えた。教室に生徒さんがちらほらといらして「やはり平日なのだ」と気が付く。私はもうカレンダーの感覚が薄くなっている。何曜日だとか、何日だとか。長く長く自分を見つめすぎたから。 海の近くになると、松の木が植えてあった。潮で枯れないのだろうかと、いつも思う。近所の松の木は、大きな松ぼっくりを付けるが、ここのは小さい。やはり潮の関係か?? 運動不足解消のためか、ウォーキングの人、ラン...

公募への道のり(1)賞を獲りに行くポイント

これは昨年、私がnoteでこっそり名前を変えて綴ったブログである。 2020年7月7日のブログだ。 ツイッターを辞めた後だったので、フォロワーさんじゃないであろう方が「いいね」を一つ下さったブログだ。 再度、ここに載せておく。 ちなみにnoteは退会させて頂いた。 公募は、審査員の好みに合わせて描く人が多いらしい。誰しも、出品するからには賞がほしい。出来るだけの対策はする。否定しない。それも、その人の人生だ。私と目指すものが違うだけだ。 ただ注意して頂きたいのは、審査員に添ったところで、ある程度の画力がないと当然、入選も入賞もしないのだ。 私は自分が描きたいものを描く。 残念ながら、描きたいものしか描けないから。 今回の公募は肩書きが欲しいから、出品する。出してみないとどんな結果になるのか当然出ない、やってみるつもりだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 私は自分から絵画の公募に出品したことがない。 そもそもしたくても、方法がわからなかった。早くに方法さえわかれば、自ら出品していたかもしれない。 そして、私は「美術系」の学校を卒業していないというコンプレックスがある。美術の教育は中学校までしか受けていない。 思えば受動的な人生である。 絵画については、中学まで学校の先生がなんらかの公募に出してくれていたのだ。賞をいただいた時に初めて「そんなものに出品していたとは!!」と知るのである。そして、そう抜きん出てもいない私は、多く用意されているであろうあたりの「賞」をとるのである。 美術系の学校に行きたかったのは山々だ。大人の事情である。私は子供で、何も知らなかったのもある。高校受験も高校生活も地獄であった。親が決めた進路に進み、何の希望もなく暗黒の時代を過ごしていた。 たとえ神様が「時間を戻してあげるよ」と言っても、遠慮する。いつもいつも精一杯で生きてきた私は、過去に戻りたくない。 そんな受動的な私が、昨年あたりから能動的になり始めた。 ここまでくるのに何十年かかったが、ツイッターを始めたのがきっかけかもしれない。 解雇に何度も合い、人生を諦めかけていた私に、ツイッターで絵の友人ができたのだった。今は絵に対する考え方の違いにより、距離を置いている。でも、彼女がキッカケだった。 そして、一度「二人展」をやろうと至ったのだった。これは、ご時世だった...

公募への道のり(0)頼もしい画材屋さん(公募出品への手順)

 私の住んでいる地域には、比較的近くに画材屋さんがある。 品揃えは、街の有名な画材屋さんには負けるが、とにかく店員さんが親切でなんでも教えてくださる。 公募のことも、色々をお話を聞いた。 何しろ、全てが初めてなのである!!!初めてだ!!! 私が応募する公募は大体、50号もしくは80号を描いて出品する方が多いということ(←昨年聞いた話。今年は100号まで描いて良いとの規定になったので、100号の出品が多くなると予想される)。公募は作品を保護するためが額装の指定がある。では、額装はどうしたら良いか?とお伺いしたところ、額装や搬入・搬出も依頼すれば、全て画材屋さんがやってくださるそうだ。そんなで、結構お金がかかります。「絵は金持ちの趣味だ」と親類一同が言っておりましたが、、、、本当にね! 公募にかかる費用 ・ カンバス代 (規定の大きさまでの絵を描く。大きさは何が主流か、公募によって違うので、画材屋さんに聞くと良いです。傾向がわかります。自分で作っても良いらしいが、たいていが既製で販売されているカンバスに描く。当たり前だが、カンバスは大きいほど高い!) ・ 額装代 (たいていの公募は、作品の額装をするように指定してある) ・ 出品料 (主催者に支払う) ・ 作品の搬入、搬出代 (当然、応募するには作品を送らないといけない訳で。個人で搬入する方もいるらしいが、大抵の人は大きなカンバスに描くので業者に依頼する事が多いらしい。) 病気で結局、就職をまだできずに絵を描いている。絵も描けない状態だったから、少し進歩したと思う。昨年、食品業界に就きたくて、広く浅い食品知識の資格を取ったが、知識を得ただけで終わった。忘れそうだ。でも楽しかった。私は学ぶ過程が好きなのかもしれない。 多分、食品のことここで書いても、信用性がないだろうなと後で思った。「資格を取りましたよ」と言えば、信用が増すかもしれぬが、栄養士ほどの深い知識ではないから。でも、そこそこ勉強した。、、、今まで取った資格で役に立ったの一つくらいじゃないか? 画家の資格(←?そんなものあるのか、、美術の教免などかな?)がないので、今年、肩書を作ろうと公募に出すのだが。 これは画材屋さん(←プロ)のお話なので、信頼できる情報であろう、笑 公募に出す手順を書いておく 作品を仕上げる (もちろん締め切りまでには仕上げる!余裕を...

昨日の落書き_210510

イメージ
  何かの植物です。多肉ちゃんなのかしら?待ち時間に描きました。ボールペンはいつも持ち歩いているのです。窓からツバメが飛んでいるのが見えました。

こおの食品知識(備忘録1:トランス脂肪酸)怖いアブラの話

先日、「ケーキが切れない非行少年たち」の読了感想文を書いた。 それで思い出したのはケーキである。私はケーキを一年に一回食べるか食べないかだ。(しかも自分の誕生日ではない)機会がないと、食べない。 ケーキを若い頃、二度ほど作ったが、バターと砂糖の量に圧倒されて、もう作らないし食べなくなった。どれだけのバターと砂糖を使っているかを見ると怖くなるので、ダイエットを始める人は一度自分で作ってみると良いかもしれない。(それでも食べたくなるのが甘いものですが!) 器用な方は、それを知って、砂糖をおさえたり色々工夫なさって作ったりするのだが、私は面倒くさがりなのでしない、笑。 個人の店舗で売っているケーキとスーパーで大量生産されているケーキの違いは何か? 考えた事がおありだろうか? 材料の良し悪しが違うからだろうというのは皆様ご存知の通りである。スーパーで売られているケーキには原材料に安価な油脂が使用されているのだが、その詳細について詳しく書いておこうと思う。 (実は昨年、食品業界に就きたくて少し勉強したのです) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 「トランス脂肪酸」と聞いてもピンとこない人は「ショートニング」「マーガリン」と聞いたら、ピンとくるだろうか?? これでもピンと来ない方は、よくスーパーで買うお菓子の食品表示を見て欲しい。入っていると思う。個人店舗のケーキ屋さんが作るお菓子やケーキにはバターが使われるが、大量生産されたお菓子やパンには、ショートニングやマーガリンがバターの代わりに使用されている。スーパーに行かれた時にピザやパン、これも宜しければ食品表示見てみて欲しい。入ってますから。 何故使用するのか? 安いから、そして保存が効くからだろう。 では、トランス脂肪酸とは何から出来ているのか? ショートニングやマーガリンは、植物油からできていて、食品の食感、風味、そして保存性を高めるために水素を加える。この水素を加えた時にできるのが「トランス脂肪酸」だ。(私は水素という物質がどんな物質か覚えてないので、水素の詳細はありません、すみません。) トランス脂肪酸は、体には良くない!!WHO(世界保健機関)も摂り過ぎに注意勧告出すくらいだから。 摂りすぎると心臓病になる可能性が高い。そして、体を酸化させることは間違い無いと思う。アメリカはトランス脂肪酸の摂りすぎで、...

食品業界に転職しようとした思い出

 グリーストラップ 食品業界へ就きたいなどと思わなければ、こんな言葉知らなかった。 グリーストラップとは、排水中の油分や残飯を分離、貯留して排水管を詰まらせない様にする装置のことだ。以前、床に設置されてあるのを見せて頂いた。 厨房の床を見ると鉄板の蓋らしきものがあるのだ。これを開けると、水が張ってあって、その水の上に油などのゴミが浮いている。掃除する時は、そのゴミをすくって取り除く。 知り合いの方などは、割と飲食店をさらりと経営されていらしたが、こういうのはどこで知るのだろう。自身がどこかの飲食店でアルバイトして知るのだろうか。経営だけだから、あまり気にしないのか。 私は本当に食品業界のことに無知であったので、こんなものがある事も知らなかったし、これをこまめに清掃して、店を清潔に保っていることも知らなかった。台所の油は、一人暮らしでも本当に掃除が大変であるが、お店は一人や二人程度の料理の量じゃないので、こういう装置があるのだろう。 店を自分で始める時は、借りる店舗にこのグリーストラップが付いているかいないか、清掃後に引き渡してくれるかどうかを交渉する事になるらしい。この装置100万円くらいするのだそうだ(ここでも100という数が出てきた!)(100という数字に関してのブログはこちらです。 100を超えると何かが変わるらしい。 ) だから、設置してない店舗を借りると、自分で100万でこの装置をつけなければいけない事になるし、設置あったとしてもずっと清掃されていないと使えなかったり、最初に清掃の費用がかかって大変なのだそうだ。 なので、飲食店を始めたい方は注意されたし。 さて、なぜこの言葉が急に思い出されたかというと、断捨離でノートの整理をしていたからだ。ノートにこの言葉が書かれていた。それにしても、結局、私は食品業界に就く事なく、今日まで過ごしてきた。 ノートは捨てる事にする。 もし今後、食品業界に行く事があれば「グリーストラップ」を思い出せるといいなぁ。 (ハサップも。)

「ケーキが切れない非行少年たち」読了

 (自分のために感想を綴っておく。私はすぐ忘れるからだ。) 私はこの本が途中から怖くなった。私の体が強ければ、非行に走っていたかもしれない。だが、私は小さい頃から持病持ちのため元気があまりなかった。(今もないけど。元気がない方が楽です。)私の人生を知る学生時代の友人が「よく非行に走らなかったね」と泣いたくらいだから、そうなのかもしれない。私自身、今、人生を振り返るとしんどかったのだけがあって全体的に暗いが「どの辺が非行に走りそうだったのか?」という疑問が残る。「有名になったら自伝書きなよ」と言われたが、そんなに壮大ではないし、そんなもん読みたい人いるのか? 一言でこの本の内容を表すならば「境界線でさまよう人達」。 非行に走る少年たちの多くは、一概ではないにしろデータではIQが低いようだ。だから、普通の人が常識だと思っている事を理解できなかったりする。 「お金がないからどうするか?」という問題に借りる等の他に「盗む」という選択肢が入ってきてしまう。 内容にも出てくるが、IQを測るテストがある。昔は許容範囲が広かったようだが、今は基準が厳しくなったと言う感じである。「知的障害はIQが70未満」というのが現代の基準らしいが、1980年代の一時期は「知的障害はIQが85未満」だったそうだ。怖いのが、IQ70〜84の子供達は本当に野放しされてしまっているのだ。テストを受けて、基準に当てはまればまだ救われる方なのではないか。 こういう事は知的障害のテスト以外でもよく見かける気がする。ボーダーラインの上下の人達は、該当する人達とあまり変わらないのである。でも、野放しされている。 人間の有り難いところは、弱い人間でもどんな形であれ親が「育てる・育てよう」とするというところではないだろうか。私も持病のある弱い人間だが、育ててもらった。人間の中にも例外はあるかもしれないが、野生動物を見ていると、弱い子は生まれた時にさっさと捨ててしまったりする。 私が知っているのは、雀である。雀は、巣から弱いヒナを親雀が自分で落とすようだ。私はヒナを雀と知らずに拾ってきてしまった事があるが、何故落ちているのか不思議だったのだ。落ちていたヒナは、弱い子だったのだろう。 この本の著者は、知的障害を持つ子を社会で過ごしやすいように指導したい気持ちがあり、それが国力に繋がるということも述べている。有り難...

ブランコは楽し(目線が変わる時)

 ゴールデンウィークだ。 相変わらず、一人なので毎年これといって変わらない気がする。世間が大型連休の時が一番苦手だ。ゴールデンウィーク、お盆、正月。「私も人と戯れたい!」という願望がある。 私の中で世間の持つ「普通」を求めている限り、この苦しみから逃れなれないのであるが、最近はむしろ「一人でよかったのかも」と思う。結婚している方は家族の予定で忙しそうだからだ。連休は連休で人間関係にエネルギーを家庭で使っている様に見えます。楽しい反面キツかったりもするのかも(想像)。本当に、お疲れ様です(←嫌味じゃなく) 友人は結婚していないが、家族の用事で忙しそうだ。毎年、”おばあちゃん”のところへ帰っている様である。それは、祖母を気遣ってのことが大きいだろうが、家族での集まる楽しみもあるのかな。本当は今日(5月3日)は私と出かける予定であった友人だが、家族の用事が出来てしまったとの事だった。残念だが仕方ない。家族と予定を合わせる大変さを私も知っているので、責めることは出来ぬ。「おばあちゃんのところへ遊びに行く」。これも私は憧れているが、どうもこういうのに縁がない。 やらなければいけない事が多いのに「時間がある」と思った途端、やらないのは何故なんだろうな。ゴールデンウィークに限った事ではない。勤務者だったら、仕事が休みの日にこれを感じるであろう。私は勤務者だった時、これを感じていた。 結局やりたいと思っていたことをやらずに休日が終わるとがっかりするのであるが、本当はガッカリすることはないのだ。ゆっくり休めたのだから、それで良いのだ。自分に過度に期待しているのと「やらなければいけない」という思い込みがあるのだろうなと、いつも思う。 最近になって「やらねばならない」という考え方は捨てたらいいよっていうのを少し見かける様になったが、私が若い頃は根性論みたいなものが根太く世にあったので、休日何もしなければ見えない何かや家族に責められた。 「やらねばならない」という考え方、本当に捨てられたら楽だろうな。私もまだ修行中で時々この考えに苦しむ。 この連休の最中でも、この考え方に苦しんでいる人がいたら、ゆっくり出来る状況なら無理せずにゆっくりなさって欲しい。 本当にやらねばならない事は、やりますから。「やらない」という事はそれの優先順位が低いからだ。体調が優れないならば体を休ませる必要があ...

今日の落書き_210502

イメージ
  いつ描いたんでしょうね。片付けをしてたら出て来ました。こういう体つきになりたいですね。

”ポーーー”と鳴く冷蔵庫と暮らす

 昨年のゴールデンウィークである。我が家に新しい冷蔵庫をお迎えした。 今住んでいるマンションに持ってきた大きな冷蔵庫が2年前の年末頃に壊れ、年越し、そしてコロナが流行り、皆が巣篭もり生活を強いられる状況だった、昨年の五月。 数ヶ月、冷蔵庫を使わずに生活して来たものの、非常事態宣言が出されてしまうと食料が家に保存できないという不安が大きくなって購入を決意。購入した。 時々、機械的な鳴き声を漏らしながら、活躍してくれている。一年経った。 今日も鳴いている。 ポーーーーー 思えば、一人暮らし用のアパートではなく、ここのマンションに決めたのは「玄関ドアから冷蔵庫が入るか」という基準があり、それをクリアしたからというのもある。だから、ここに住むことにした。 私が持っていた冷蔵庫は大きかった。 小さいものに買い換えるとか、壊れた冷蔵庫は処分してコンビニで済ます(コンビニが冷蔵庫と思うようにする)とか、そういう考えがなかった。ただ、多くの大切なものを手放して、何も考えられなかったのもある。未来に不安があったのか、荷物が多かった。私なりに減らして引っ越して来たつもりであったが、最近、断捨離をしているとやはり荷物が多かったと思う。一人暮らし用のアパートのドアは案外小さかったりするということを友人から聞いていたので、それが基準になってしまった。 冷蔵庫に拘ったのは、私が人と暮らした証を手放したくなかったのだろう。 引越し時、引っ越しやさんに冷蔵庫を持ち上げてもらうと、たくさんのホコリと思い出の品がぽろっと出て来た。驚いて涙が出たのを忘れていない。私が人と暮らした証みたいなものが冷蔵庫の裏に隠れていたのだった。そもそも、この冷蔵庫の大きさが「人と暮らした証」であった。 「マンション」とは名ばかりのこのビルに引っ越して10年経つ。 最近、断捨離も進み、冷蔵庫も小さくなったので、すっかり「お一人さま」仕様な生活になった。 人生とは不思議で、自分ではそうしたくなくてもそうしなければならない事態に流れてしまうことがある。10年前もそうであった。 私は描いていた未来とは違う未来を今、歩んでいる。 冷蔵庫の裏から出て来た思い出は引っ越して来て、すぐに処分した。ここではそれが何かは綴らずに、自分の胸の中で光らせておく。物はないが、本当にいつも心にある。 今年も五月がやって来た。確かに一年経った...