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12月, 2021の投稿を表示しています

野球と私(7):映画[REVIVAL」の観賞

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野球のシーズンが終わって、もう年末という時。 だが、しかし、なんと、映画があるのだった。 さすがソフトバンクホークス!! 抜かりなく、最後までみんなを楽しませるのだな! この映画はドキュメンタリー映画だ。 観に行ってきた! 今年のホークスのスローガンは 「美破!(VIVA!)」 だった。 この映画のタイトルをよく見ると「VIVA」という文字が隠れているのだった。 駄洒落といえば、駄洒落なのかもしれないが、私はこういうのは大好きだ! 優勝までの道のりをギュッとまとめた映画だった。 それは監督がどういう思いで、チームを率いていったかだったり。 どんな気持ちで選手が試合に臨んでいたかだったり。 日頃、どんな風に練習しているか。 そして、何より私たちが見ることのない試合中に待機しているあの選手たちの席からの目線を見ることができる映画なのだった。 私が印象に残ったことを以下に綴っておこうと思う。 ・印象に残ったこと(1)(山川選手の言葉) 山川穂高選手は、よくホームランを打つ人。そういう印象しかない。 私のささやかな趣味”プロ野球中継を聴く”(たまにアプリで番組を見る)はこの夏から始まったので、夏より以前の山川選手を私は知らなかった。 春からの開幕戦から数ヶ月は不調が続いていたようであるが、山川選手はリチャード選手の指導もなさっているようで、リチャード選手にこのようなことを言った。 「10回打ってみて、1回成功したなら、その成功を見ずになぜ失敗の9回の方を見るんだ? 成功した1回をまた打てるようにしたらいいんだから、成功した1回を見たらいい」 すごい人だ!!!!!!! 私は感動した。 コツコツと練習している様子も映像からも感じたし、何よりその言葉が私にもすごく染みた。 このように失敗よりも成功した方にフォーカスできるというのは何て素敵なんだろう! 確かに、ほとんどの人たちは失敗の方へ目を向けてしまうのではないだろうか。 「成功」の方へ目を向けるという時点で山川選手は、他とは違う何者かの凄さを持っているのだった。 素直に「わぁ!山川選手ってかっこいいな!!私もそんな風な姿勢で物事に取り組みたいな」と思った。 ・印象に残ったこと(2)(近藤選手の怪我) 近藤選手が試合でバッター席に立つ時は、いつもしなやかに筋肉を伸ばし屈伸などして準備をしているのを中継で見た。私は、バットを両手で...

晦日参りと元日(2022年の初め)

晦日参り(みそかまいり)をした。 初詣ではなく。大晦日へ行ったので「晦日参り」だ。 神社へ行くと必ずおみくじを引く。 前回、前々回、大吉だった。 運の分別を知ること。 そんなことよりも、いつも自分のその時にあった言葉が書いてある不思議な紙が、私にとっての「おみくじ」であった。 ちなみに昨日引いたおみくじは、大吉であった。 もう16年も持っていたお守りを近所の神社へお返しさせて頂いた。 本当は、お守りを頂いた神社へお返しに行くべきだが、他県である。 行こう行こうと思って、もう16年経ってしまった。 あのお守りは特別なお守りだった。 母からもらったお守りであったが、その一年後ぴったりに大切な人に出会った。 本当に一年後だった。神様がいるとしたら、その日にち、雲の上から操作したに違いない。 でも、結果、手放すことになった。 執着があったのだろう。 お守りは16年手放せなかった。 もう手放していいと思えるようになった。 「特別」を「特別」と見なくてよくなったのだろう。 私は毎日が「特別」となった、今は。 そんな時に引いたおみくじに「今日という日は二度と巡ってこないのです。」と書いてあったのだった。 昨日は、清々しい日であった。 たまたま神事に出会った。 今年の罪や穢れを取り除くとのことだった。 罪と穢れは、左肩から入ってくるのだろうか。 掌より少し大きい左右と上下に折られた封筒に紙切れと藁のようなものがほんの少し入っていた。右手にとって、それを左肩に散らす。 白い小さな紙の吹雪が肩を舞って、飛んで行った。 空の濃く青いところと薄いところがあって、その薄いところに吸い込まれたのだろうと思いながら、それを見た。 神様がいるどこかとその時だけつながった気がした。 風は冷たかったが、青と白が美しかった。 神事に偶然立ち会えた感謝をして、もう列ができている神社の前を通って、いつの間にか出来た笑顔で家に帰ってきたのだった。 今日は来年の抱負を決めなければと思う。 何をしたらいいのだろうか。 おみくじに 「何事も末の見込みがある 改めてかえて良い運です」 見込みがあるなら、幸先がいいな。 今日も青い空だ。 気持ちよく、新しきことを決めよう。 おめでとうございます。

今年の最後に(2021年の終わり)

清々しく晴れた日だ。 今年最後にはふさわしい清々しさではないだろうかと、勝手に思う。 コロナが流行ってから、初詣は三ヶ日の間に参らなくなった。 今日は大晦日であるが、神社へ行きたいと思った。 このところ、悶々と「金と権威」について考えていた。 ”人生の師匠”とお会いすることができたので、それが救いであった。 師匠とスーパーでよく顔を合わせることがあったのに。コロナが流行ってから、どの人の人生も変わってしまったと思う。師匠も私も人生が変わった。 不思議と出くわす時間帯に買い物へ行かなくなってしまったのであった。 それが、先日はお会いできた。 師匠は「来年は生きていられるかなぁ」という。 それは私も同じで。 人より弱い体を抱えていると、そうなる。 「自分のことを大切にしようと思って」と言いながら、師匠は来年一年楽しく食べれるように、年末にしか売りに出ない杵付き餅を探しては買いまくっているのだとか。 「僕にとっては(お餅を買うことは)大事なことだよ。人のことを優先してたら、時間がなくなっちゃうし、人は自分が思っているより、僕のことなど考えずに都合を押し付けてくるからね」 今日は早くから目を覚まして、なぜか黙々とお好み焼きを作り、それを食べて、また眠った。ソースの味で、一瞬だけ昔住んだ土地を考えた。 そして、見た夢を思い出しながら「よかったのだ」と結論がでた。 私のつまらない考え事の結論が出た。 LINEスタンプを作らなければ「金と権威」なんてことを考えもしなかったし、自分が今後どんな方向を向いて絵を描くべきかなんて真剣に考えなかっただろう。 よくわからない。やりたい方向性はまだ、わからない。 「自分がやりたいと思ったら実行する」その姿勢は変わらないだけで。 お正月が終わったら、あのどん底の絵をかけるかもしれない。 私は今、底にいる。 人といても寂しくて、虚しくて、そういう底の中にいる。 自分でも消化できない悔しさや悲しさだけがただ追いかけてきて、それを閉じ込めるようにタブレットの画面をひたすら見つめる。 ペンは持つけれど、今日はデジタルですら描けない。 周りからする話し声やモニターの音をかき消すように、気持ちだけが追いかけてくる。 思えば年末年始はいつも泣いていた。 残っている画題を思い出すのも、ある。 それくらい、私には「死」というものがいつも身近にいた。忘れようとして...

今日のデジタルイラスト(第五人格:悪夢)途中01

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#第五人格イラスト #悪夢  #procreate  #デジタルイラスト  

アンデパンダン展と個展

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「権威と金と、関係ないところで描いたらいい」 そう言われた。 「知り合い」というジャンルに入る人なのか、よくわからない人から言われた。 信頼はしているが、友達ではない。 その人は芸術をひどく愛している。 ひっかかる言葉だ。 権威と、金。 「金と権威のないメリットを述べてみよ、この世に逆らって。この世はみんなそうだ。」 そう心で呟いた。 そう思った自分を責めた。 いつも、そういう基準を周囲がなんとなく威圧してくる。 「この値段じゃ買わないな」 最近「買う買わない」の価値基準を私に真っ向から突きつけたのは、この人だった。 作った者への、作品の感想ではなかった。 私が最近作ったものは、LINEのスタンプだ。 私は油断していた。 学生時代の友人のような雰囲気のこの人に。 こっちの世界ではなかった。 この人もあっちの世界の人だった。 言葉とは、なんと頼りないものなのか。 どちらの言葉がこの人なのだろうかと、私は見抜けない。 ただの言葉、ただの文だ。 でも。 軽いショックを受けた。 二つの言葉が突き刺さった。 アンデパンダン展 という無審査の公募がある。 私は地方に住んでいるので、結構敷居が高い。都心で開催されるものに関しては、絵を送るというところからつまずくのだ。 ただ「無審査」という言葉から「そもそも芸術とは何か、文化とは何か」ということを再度考えさせられる。 審査がないということは「検閲」がないということだろうか。 それとも、水面下で結局のところ検閲があるのか。私は知らない。そもそも、私はこの世界(美術業界)のことは詳しく知らない。ただ、この アンデパンダン展 の用語解説を読むと、私が残してある画題の絵は出品できそうだが。 今回出品するならば、あの生死を描いた地方の公募に落選した絵になる。 「今年中に聞いておかねば」 そんな気持ちがあって、画材屋さんへ行った。昨日は、今年最後の営業日だったらしい。 アンデパンダン展に絵を出品するならば、東京へ絵の配送を依頼せねばならない。都心近くなら、そんなに心配もしなくて良かったのだが、私が住んでいるのは何しろ花の都から遠く離れた地方である。 画材屋さんに聞いたら、驚いた顔をされて 「東京、、ですよね??」 そう、私は公募に出したのは今年が初めてであったし、地方から、しかもこの小さな画材店から出品する人は少ないのかもしれない。誰かの目に...

今日のデジタルイラスト(第五人格:調香師)

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今日のデジタルイラスト(第五人格:踊り子)

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#第五人格イラスト #踊り子  #procreate  #デジタルイラスト  

今日のデジタルイラスト(第五人格:芸者)

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#第五人格イラスト #芸者  #procreate  #デジタルイラスト  

読書好きのためのLINEスタンプを作った

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表題の通り。 目的を「公開」だけ前提に作成。 読書が好きな人なら「ある!ある!」と言って、クスリと笑っていただきたい。 それだけのためのスタンプ。 無理に使ってもらわなくて良いです。見るだけ〜、笑。 (使いたい人は少し高いけど買ってください、笑!) それで、マックスの値段にしようかと思ったが(笑)!!! 前回よりスタンプのお値段は上げてみて(そしたら「買った」だの「買わない」だのしがらみがなくなるだろうと思ったから)、でも価格あげるのは嫌になったので、一番お安い価格に戻そうと試みた。 マイページの注意書きに書いてあるとおり一旦、「赤い販売中止」ボタンを押して、販売価格情報の設定を変更しようとしたが、、、、 出来なかったので、そのまま販売することにした。 変更できたら、それをブログで書こうと思ったが。 一旦、販売中止にして価格設定をしなおしたら、きっとまた審査に出さねばならないのだろうな。(そうしようと思ったが価格変更のプルダウンすら出てこなかったので、変更の仕方がよくわからなかった←三回やってみた) 調べたら「 審査終了〜 販売 開始までの期間は、いつでも 価格 を 変更 することができます。 」と書いてあった。 販売開始ボタンを押してしまった後だったので、変更できないのかも、、、? 何はともあれ、勉強になった。 イラストを描くにあたって、色々と実験をした。 筆を透過させて見たり。 筆を変えてみたり。 文字のフチの付け方を調べてやってみたり。 テキストは手書きではなく、お絵かきアプリのデフォルトのもの使ったり。 まだやってみたい事があるので、また作ろうと思う(そして、元の価格に戻します、笑!) 私は、この頃、自分に「稼ぐ力」が足りないことを実感するのだが、私が今できることは限られていて、なかなか前に進んだ気がしない。 (ま、これも後で役に立つ日がくるさー。) かーさんの読書大好き徒然日記 (先ほど、販売開始ボタンを再び押してみたが、実際は3時間後に販売になるのかな?) 気が向いたら、どうぞあたたかい目で、、、みてやってください。 どう言ったら伝わるか。 これは「LINEスタンプ」という形の私の表現方法の一つであって。 「この表現はこの道具」という形の一つです。 買って頂けると嬉しい。嬉しくないと言ったら、嘘になります。 でも、明らかに「お付き合いで」という形で無理し...

片付けと生気

「断捨離」という言葉が商標登録されていたとはつゆ知らず。 ブログで使ってしまっていた。商標登録後の、その語句の使用とはどうしたら良いのか。 後で調べようと思うが。(営利目的ではなく、ただの現代用語としてなら使って良いのかな?) このところ、増してよく物を捨てている気がする。 以前と違うのはあまり躊躇いがなくなったことだろうか。 ただ、ものが減ってくると、やはり「未来」への不安が少しよぎるのだが、人生の中で身一つの時があって「何とかなったので大丈夫だろう」という気持ちもある。 日によって、気持ちのシーソーがどちらかに傾くのだが、、、。 なんとかなるだろう。 どーんとこい!!!!! 未来!!!!! 物だけじゃない、いろんな物を手放して今まで生きてきた。 その時は「なぜ手放したくないものも手放さなければいけないのか!」と思っていたが、こういうことは時が経って初めてわかるものだ。何かしら意味があったのだと思う。 こうして絵を描ける環境でいるのも、今までの人生があったからだ。 どの出来事が欠けてもいけない。今にたどり着けなかったと思う。 何度も「なぜ今なの?!!神様!????」と思うことがあった。多分、どの人の人生にもそれはあるはずだ。 私にとっての片付けというのは、考え方の学びだった。 最近、台所にあった食器の水切りカゴを捨てた。 引っ越してきて一度捨てたのに、また買ったのだ。その時は「水切りカゴは必要」という概念が私の中にあって買い直してしまったのだが、今思えば「あのまま買わずに過ごしたら良かったのでは?」と思う。水切りかごは管理が大変だった。水垢がつくので、食器も洗うが、水切りカゴも掃除が必要だった。 今はフキンを敷いてその上に洗った食器を置いている。ある程度乾いたら拭いて食器を所定の位置に戻すので、シンクが散らからないし、掃除が楽である。 ピカピカしている物を見るのは楽しい。 水切りカゴは必要なかった。あの「必要」と思っていた私はなんだったのだろう。 部屋が整ってくると、心も整ってくるのだろうか? 少しは整ってきただろうか? 私は自分のことがいつもよくわからない。 汚部屋の片付けの映像を見て、最近、ゾッとした。あれは究極に自分を見失っているでは無いか!私は物が多い時期もあったが、縦にゴミを積み上げていったことはない。 その映像を見て、ゾッとしてさらに片付けた。 そこに...

新しいことを作り出す手がかり(美術史を知るということ)

「多くの人に見てもらいたいなら、美術史を知ることです」 絵を見るプロから、そう教えて頂いた。 当然、理解していなかった。でも、プロが言うならば学ぶべきだと思って、どんな本を読んでいいかわからず、ネットでいくつかのブログを読み、お勧めで上がってくるタイトルの本を図書館で借りて数冊読んだ。 後は、YouTubeで山田五郎さんの「オトナの教養講座」を見た(非常に面白くて、毎回楽しみにしています)。 私が最初に学んだ美術史は「西洋美術史」だ。 学校に通っている学生ではないので、「これ、テストに出るよ!」という迫られたものもないから、詳しい用語などははっきり言って覚えていない。 ただ、時代によってどういう表現が生まれ、作風になるのかというのがなんとなくわかった気になった!(表現については、これから自分の手で描いて行って、確認する事になる) 私がヌードデッサンに通っていた2年前は抽象が流行っていたようだが(地方だから??)、今はどうやら具象らしい。私は昔から先生方に「具象を描け」と勧められていたのだが、それもよくわからなかったが、そう言われたのは、今、流行っているからかもしれない。 美術史を読むようになって、当たり前なのかもしれないが流行りの表現はどうやら時代と結びついていることらしいのが、この馬鹿な私にもわかってきたのだ。 勉強とはなんだろうな。 なぜ勉強するのかって、今更だが誰も教えてくれなかった。 表面上の理由はなんとなく子供ながらに察していて「それで給料が高くなるのだろうか?」などと生意気に思っていた記憶がある。しかし、勉強をしておくと良い正統な理由がわかると、少し納得できる気がする。 勉強の定義が難しいので、上手く言えないが、結局、いろんなことにつながってくるのではないかと、最近、思う。 学校で学ぶことは実践的ではないが、楽しく生きるために、人生を楽しむために知っておいた方が良いことが多いのだ。 しかしながら、親類の子には「安心しろ!小三までの学力があれば生きていけるぞ。四年大に行かなくても生きて来れた、ここに見本がいる。」と伝えてあるが。上記のことも伝えておいた。 歴史を知ることで見えてくることがあるだろう。 今更だが、日本史と世界史をきちんと勉強しておけば良かったと思ったのだった。 とりあえず、図書館で漫画でも読んで学んでみるかなと思っている。 新しいことを探る時...

「チーズはどこに消えた?」スペンサー・ジョンソン(著)読了、感想というより思い出

懐かしの本である。 久しぶりに読む。たまたま再び出会ったので借りてきた。 読書の感想文というより、思い出をつらつらと書く。 書店へ行ったが、まだ平積みされていたから、これは本当にベストセラーなのだろうな! この本は、むかーし、高校時代の友達が私の誕生日にくれた本である。 この本と何故かタイの国旗シールが添えられていた(ウケ狙いだろう) 微笑みの国、タイ。やはり笑えということだろうか、笑(それは深読みしすぎか) それとも、これ、しおりにしなよ?っていうメッセージか(それもないな) もらった本は手元には、もうない。実家を出る時に処分した。 気になる方は、とりあえず読んでみたら良い。薄い本だ。 内容を一言で言うと「変化を逃すな、恐れるな!楽しめ!」 そういう当たり前のことだが、忘れがちなこと書いてある。 変わらないことなど一つもない。変化し続けている、何事も。 私の内容解説は以上だ。 私は臆病で変化が苦手だ。 変化は怖い。でも、誰もがそうであるという事を知ったのは、生きてきて最近ではないだろうか。それほどアホなのである。 この本をくれた友人は、学校卒業後にいきなり東京へ行ったらしい。何故東京なのか、聞かなかったが。 高校卒業後、疎遠になっていたのに、何故か連絡があったのか、こちらからしたのか。話を聞くと東京で雑誌の画像の編集をしていたらしい。その後、その友人が結婚したという話を誰からか聞いたが、今はどうしているか知らない。人は人生が変わると疎遠になるものだ。生きる世界が変わるから。 私は一度、彼女の家に泊めてもらった。自分が住む県に帰れなくなったからだ。1999年の年末にアーティストのライブに無謀にもやってきたが、 2000年問題 で帰りの飛行機チケットが取れずに一週間ほど、東京にいることになった。 つまり、他県で年を越すことになったのだ。 あまりお金を持っていなかったので、友人に対しても何も出来ずいたが、友人が泊めてくれた。 友人が仕事に行っている間は、一人でアメ横をずっとぶらぶらしていた。山手線を意味もなくぐるりとして、車窓から風景を見たり、そうやって時間を潰していた。ドイツ海軍のセーラーを古着屋で安く手に入れて喜んでいた記憶がある。でも、思ったより何もない印象で、当時は絵には興味がなかった。 ただ、奨学金返済のために働くのに必死だったので「美術館に行ってみよう」とい...

誰のための創作か(2)

誰のための芸術か。 そんなこと、私が語れるはずもなく、この頃、美術史などを読んでいると、どの人も自分の欠けている部分を埋めたいだけで、あとは嗜癖と性癖を表向き「創作」ということにすれば、世の中的におかしくても「あの人芸術家だから」で許される訳で。 ただそれだけなんじゃないか。 そう思ってしまった。 そこに人間らしさや葛藤が見えたり、同じように美しいと思えば、見る人も同調してまう訳で。 ちょっとその人自身に何か癖があったとしても、人間としてはちょっと破綻していても、それで許されてしまうのではないかと。 私もきっと、世の中的には「おかしい」人間なので、「だったら最初からおかしい許可がある画家になっちゃおう」という安易な考えがある。 「絵を描く人はみんなおかしいから」 という言葉は、ヌードデッサンの先生の口から出た言葉だった。 私は在籍していなかったためグループ展には参加しなかったがその時、無職だったため、(昨年だったか一昨年だったか)グループ展の会場へ作品搬入の手伝いに伺ったのだが、参加していた方々が「我先に!!!」とお互いが場所取りをしていた。 その様子を驚いてみていた私に先生がポツリと言った言葉だ。 先生も私も「おかしい」はずだが私は出品していないから場所は取らなくて良いし、先生は「最後に空いたところでいい」と言って、やはり一緒にその様子を見ていた。  絵を展示するにあたって「ここが一番いい場所」という場所が会場には必ずある。 お客様が入って一番に目がいく場所。そこが「一番いい場所」ということになる。デッサン教室の大御所みたいな人が颯爽と一番良い場所をとって、それからその他の人がまた「我先に」が始まり、2番目3番目の良い場所を取り合っていた。 お互いを押し合っているのだ。 私の頭の中には芥川龍之介の「蜘蛛の糸」の画が頭に浮かんだ。 「天国へ行く糸は切れないのだろうか?」と。 それに「糸があれば天国に行けるかもしれない」とも思った。ああ、でも、押し合うと糸切れるんだっけ、、、。 私は驚いて、場所取りが終わった方々の、絵の設置の手伝いをした。先生は空いた中途半端な位置に絵を展示なさった。 この糸の争奪戦は、、、誰か天国へ行けたのだろうか。 私は自分の場所を見つけたい。 私は見つかれば、そこへ行くし、見つからなければそのままでいる。 奪い合いはしない。したくない。 私は自...

誰のための創作か(1)

 今日、「9人の翻訳家 囚われたベストセラー(字幕版)」をみた。 この映画のポスターが貼ってあったのを思い出した。 「広告が派手ではないが、すごく良い映画を上映する」映画館の近所で、私は当時、働いていた。 私は、仕事で翻訳の経験はないが軽いものの校正経験はある。 この映画が上映されていた当時、私は校正のアシスタントとして働いていた。 校正は、軽いものから重いものまであるが、私は軽いものしかしたことがない。 重いものは、小説だったり長い文章だったりするのだろう。事実を事実かどうかも、調べて校正するようであった。だから、語彙だけがあれば良いって 私は、広告関係の業務経験しかないので、それを考えると重い校正をなさっている方は尊敬しかない。 軽いものでも、危ういキーワードなどは、かなり気を遣っていた。赤いペンでチェックして、原稿のコピーに書き込んでいくのだが(「赤いれ」という)「この表現で大丈夫でしょうか?」と書いたこともある。身内では使って良い言葉でも、世の中的にはNGな言葉などもあるから、そこは気にしていた。 ああ、今、ブログなんか気軽に書いているが、私は大丈夫なのだろうか。 (仕事ではないので、緊張感がない気がする) 「校正をしている人がいる」 その存在が世の中にわかってしまう時は、正しい校正ではなく間違えた時なのだ。普段は誰も、そんなことを気にせずに文章を読んだり、広告を見るだろう。 間違いが世に出て、誰かが気がつく。 その時。 「これを校正している人がいる」ということを誰かが知るのだ。 翻訳者が名前が表に出ないと言う印象は私にはなかった。 小説などを読む時は、翻訳者の名前が表紙に記載されていたりするからだ。 でも、翻訳者も校正者と変わらないのかもしれない。間違いや表現が合わないと受け取る側がわかってしまった時にその存在がいることを、こちら側が知ることになるのか。 創作というのは、お金を得るための手段という人もいるだろうし、自分の楽しみだけのためにやっている方もいるだろう。 私は今まで、自分の楽しみだけに絵を描いてきたから、この2年は見えない誰か(見てくれるだろう誰か)を思って公募の絵を描いたのは新鮮だった。 でも媚びて絵を描いたつもりはない(笑)。 映画に出てくる「小説を書いた本人」を見ていると、自分とその大切な相手だけが知っていれば良い作品だったのだと思...

LINEスタンプ作成第二弾!!イベントに参加してみようではないか!(2)審査通過の確認方法と販売開始の方法

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  二回目のラインスタンプ 販売となる。 (どちらかというと、一般公開が目的だったりする。) 審査待ちしていたら、あっけなく通過。 気が抜けた! 「ありがとうございます!!!」スマホに言っていた。 昨日の夜21時くらいに申請(12月8日)→今日(12月9日の14:32)に承認がおりた。 前回もこのような感じであった。 ・審査の申請(リクエスト)の確認と審査の通過(承認)の確認方法 審査を通過したのかどうか、どうやって確認するかというと、LINEのアカウント作成をし、「 LINE Creators Market」にスタンプの申請をすると、スマホのLINEアプリの中に「 LINE Creators Market」の公式アカウントが自動で作成されるようである。 そこに通知が来る。 申請(リクエスト)した時も同様に、ここに通知が来る。 私は、サイトのアカウント作成した時にメールアドレスとパスワードで作成したのだが、その登録したメールアドレスにも審査のリクエストを受けたこと・審査の承認がおりたことがメールで届く。 調べたら、サイトのマイページで確認できる方法もあるらしいが、今は審査にそんなに時間がかからないようなので、LINEとメール通知だけで十分だと思う。 LINEとメール、二つも通知が来るなんて、なんだかありがたい。 これを確認したら、次は 販売開始のボタンを押さねばならない ! ボタンを押さねば、一般公開されないのだ! ・審査で承認を得たスタンプの販売開始方法 販売開始のボタンがどこにあるかというと、、、 「 LINE Creators Market」」のサイトのマイページに入る →左側に「アイテム管理」があるので、それをクリック。 →右上に表示される緑色のボタン「リリース」ボタンを押す。 「スタンプのタブの項目「ステータス」が「承認」から「販売中」になるのでこれでオッケー。販売開始が反映されるのに10分ほどかかるようだ。 そんな訳で二回目なのに「あれ?販売開始のボタンどこだっけ?」とボケボケしていましたが、無事に審査も通過して販売になっている。 イラストだけでも見ていただけると、非常に嬉しいです!!! 楽しく描いたのだけ伝わるといいなと思います。 こおアナ、スタンプ第二弾!!!冬スタンプ(イベント参加中) うーさんとかーさん、冬の生活

LINEスタンプ作成第二弾!!イベントに参加してみようではないか!(1)(只今、審査結果待ち)

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初めての LINEのスタンプを作成したのが11月。 思ったより早くイラスト作成も進めることができたのに驚き、さらに審査も思っていたより早く通って、あっさり販売に至った。 いかに行動を早くするのが大事かを学んだし、人の温かさにも触れた。 絵をに皆様に見ていただいた時に感想を頂いたのも、ものすごくありがたく、またスタンプを購入してくださった方々や応援までして頂き、ありがとうございました。 何よりも周りの方々のおかげで生きていることを痛感したのだった。 (私の人生は、周りの方々が優しい方々ばかりだったから、今までなんとかなってきた!) 本当に本当に、ありがとうございます!!! LINEスタンプ申請時に、入力欄に「イベントに参加する・参加しない」という欄がある。 前回は、本当の初心者で何も知らずにワタワタと申請のフォームに入力をして、普通のスタンプを作って、一段落したのだが、、、無知ゆえに。 イベント自体を知らなかったので「参加しない」で終わった。 しかし今、この時期「冬のスタンプ」というイベントがあるのだった!! それまでは使うだけの立場だったのであまり気にしてなかった。「そんなものがあるのか」くらいであった。作る側を経験してしまったので、色々と気になってきた。 人間とは自分に少しでも関わりを持ったものを意識する。(いつかのブログにも書いたな) 冬には冬の楽しみがある!! イベントに参加すると大勢の方々に自分の作品を見ていただけるというのだ。作るだけでも楽しかったけれど、今回の作成は、それに参加してみることにした。 他にも「あけおめスタンプ」イベントもあるようだが、間に合わないと思ったので、「冬のスタンプ」のみに参加することにした。 来年はイベント時期を考慮して計画を立てて作成するのも良いかなぁと思った。 今回も40個作成予定だったが、ネタが切れたので、32個となった。使う方々のことを考えると40個作りたかった(ごめんなさい)。私が「冬」を意識しすぎたせいか、作成があまり進まずにいた。 それでも、1日に2個、3個とコツコツと描いてきた。 時々「あんな簡単な絵なら、すぐ描けるでしょう?」という方がいらっしゃるのだが、私はとにかく筆が遅い。今に始まったことではなく、今も昔も。 どういったイラストにするのか、自分の中で決まっている時は早いが、それは大抵、自由であまり規定がないも...

Who am I ?

「もう死ぬかもしれない」と悲痛な電話がかかってきた。 どうしようもない分野の話だ。 できることをするしかないのだ。私の力は限られている。 電話は母からであった。 実家へ母に会いに行った。 「もう会っておかないと死んじゃうかもしれないんだよ。」と本人が言うのだ。 久しぶりにバスに乗って、遠くへ行く。まるで知らない場所へ行くかのような気持ちだった。 どうやら母の認知症はかなり進んでしまっているようだ。 夜か昼の区別もつかない。昼の何時なのか、夜の何時なのか? 「私の娘よね?」と何度も聞いてくる。 「そうだ」と私は言う。 英語のが学習をしていて、こんな例文が頭に残っている。実際にテキストに載っていた例文だ。 「Who am I ?」 「You are my  daughter.」 (私は誰?) (あんたは私の娘だよ。) 私と母の会話は逆だな。 私の母は私を高齢で出産したため、もうかなり高齢である。 ものない時代、戦争の経験者でもある。 海に爆弾が投下されて、一斉に大量の魚が海に打ち上げられた光景を今も忘れられないこと。 何度も何度も聞いた。 一緒に母の荷物の片付けを少しだけした。沢山の書きかけの日記が出てきた。 「それは私の記憶だから捨てないで」と言う。 「記録」と言う言葉じゃない「記憶」だ。 忘れても書いてきたことは残る、それは母の「記憶」だ。忘れていく母の記憶が文字になっているのだ。今、母の頭から消えていこうとしている思い出たちが日記の中にある。 「記憶」だ。 私は、作品や絵を沢山処分してきた。 私は「記憶」を捨ててきたのかもしれない。 その日、私は実家にあった自分の荷物も出来るだけ処分した。 自身の思い出は、こんな古い箱の中に放置されていたのだ。見れば、その時を思い出した。 心に思い出はあって、ただそれを思い出すための材料がこの箱の中にあっただけなのだ。 全部は抱えられないから、少しだけ残して、あとは捨てた。 「今までありがとう」とお礼を言いながら捨てた。 貧しい生活の中で、中学生の時に一年だけ書道を習いに行かせてもらった。 ひどくやりたかった習い事ではない。やろうとした理由は大した理由ではない。友達が一緒に習いに通わない?と言ったから、母に言ってみただけだった。すると、許可が降りた。母は学歴で苦労した人で、字を綺麗に書くことは重要なことだと思っていたらし...

「俺と言う名の箱」滝田タイシン(著)、読了

これは私の大切なTwitterのフォロワーさんが書いた小説だ。 私は、著者のタイシンさんとは、時々言葉を交わしますが、真摯で奥さんラブな方である。 ジャンルは違うけれど、私は同志だと勝手に思っている。 私は日頃よりもの見方を大切にしているつもりだ。 片方に偏りすぎては、見誤る時があるからだ。 人が人をどう見ているか、どう思っているか。自分が窮地に陥った時にわかったりする。 それは思ってもいない結果を見ることになる。 それは転職を繰り返してきた私が確実に言えることだ。 表面だけでは見えない事がある。 この小説は、究極その表面だけを取り除いてしまったと言う設定だ。 人間の本質が見えてしまうのである。(剥き出しだ!!!) それは色々な立場で、視点で描かれている。 あまり、内容を話すとネタバレになるので、私の感想を一言で言うと「面白かった!!!」に尽きる。 ちなみに私の「面白い」という言葉は究極の褒め言葉だと言っておきたい。 何しろ語彙力が少ないものですから。 ほろりとくる場面もある。箱といえど、中身は人間なのだ。 この物語は、カクヨムというサイトに掲載されている。 そこに書かれている、「 俺と言う名の箱 」の粗筋は以下である。 「 近未来の日本では人類の悲願とも言える不老不死の研究は様々な方面で進んでいた。中でも脳組織の研究は大きく進歩し、個人の思考を完全に再現出来る人工頭脳の実用化に成功していた。将来的には個人の思考を持つ機械人間も可能となったが、実用レベルのロボットの体は出来ておらず、人工頭脳の小型化も人間の頭のサイズに収まるレベルではない。現状では上下左右に可動するカメラの付いた、一メートル四方の箱に収める事で実用化されていた。 この小説は様々な理由で人工頭脳の箱となった人とその家族らの愛と憎しみ、悲しみを綴ったSF人間ドラマの短編集です。」 作り手というものは、自身の作品を多くの人に目に触れて欲しいと思う生き物だ。 私も最近はそうである。 以前は自分のためだけに描いたり、作ってきたりした。 この頃は、誰かに見て頂いて、どう感じるのか知りたいと思うようになった。 きっとタイシンさんもそうだろうと思っている。 無料で読めますので、ぜひ読んでみてください。 どう言った方々が小説家を目指し、 カクヨム と言う名のサイトで物語を紡いでいるのか、いろんな視点を知るのにも良いサ...

今更だが、LINEスタンプを作ろう!!!〜への道のり(6)iPadのフィルム選び

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ちょっと申請前の話に戻る。 iPadのフイルムを選び。 LINEスタンプ作成のために、iPadを安く手に入れて、お絵かきの準備を始めた私だが、画面保護のためのフィルムを選ぶために、またインターネットで調べた。 フィルムは、そのままの意味だ。保護するために貼る。 しかし、このフィルム、お絵かき用があるのだ!そんなもの、使った事がない。スマホには保護フィルム(←ブルーライト軽減)を貼っていたが、それ以外はない。(パソコンにはそういう装備はしていない) その名も「 ペーパーライクフィルム 」である!  そんなものが世にあるとは知らなかった。 そもそも普通のフィルムとどう違うのか、つけなくてはならないのか。 そこのところもよくわからないデジタルお絵かきど素人である。 調べると、お絵かき用を貼ることにより、保護と、そして描き味が鉛筆に近くなるというのだ。 私は、凄腕のブロガーでもなんでもないので、全部のフイルムを買って比較しようということはしなかった。検索したらきっと、誰かがやってくれているはずである。 それを見て決めようと思った。 フィルム選びで悩んでいる人は「ペーパーライクフィルム 比較」と検索して、いろんな人が書いているブログをいくつか読んでみるといいと思う。 私が検討していたのは、検索するとヒットするメーカーのもの3種だった。 ・エレコム ・MIMASO ・ベルモント このサイト を見て決めた! 私は、アマゾンでそれぞれの評価を読むこともした。それで以下に決めたっ! ベルモンド iPad 10.2 ペーパー 紙 ライク フィルム 上質紙のような描き心地 である。 私はこれが初めてで、これしか使った事がないので、他と比べようがないが、特に問題もなく描きやすい。画面も映り込みなどしないから、フィルム貼らないより貼ってよかったと思う。見やすい。 iPad本体に貼りにくい印象もなかった。結構、スッと作業が進んで、嬉しかった。 いろんな人のブログを読んでいると、ペンシルを買うか買わないかと悩む人もいるらしく、そういう記事も結構あった。 私には最初からペンシルを買わないという選択がなかった。 お絵かきをするならば、iPad用のペンシルを購入した方がよいと個人的に思う。 考えてみてもフィルムは貼らなくても、ペンシルは筆圧によって、線の強弱も読み取るために必要らしいから指では...

今更だが、LINEスタンプを作ろう!!!〜への道のり(5)作成関係の疑問

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前回のブログの私の疑問をつぶしていこうと思う。  私の疑問一覧 ・ 規定のピクセル数(大きさ)で描いたら、画像荒くなるんじゃない?! ・ラインアカウントって何?(前回ブログに書いた!) ・コピーライト の正式な表記の仕方は?(前回ブログに書いた!) ・コピーライトのマークは特殊文字だから、文字化けるのでは?!(前回ブログに書いた!) ・販売地域って、どうしたらいいの?!(前回ブログに書いた!) ・なぜ!?スタンプを英文で説明しなくてはならぬのか(販売は国内のみの設定予定)  英文間違ってたらどうする?!(前回ブログに書いた!) ・ イラストのタグって何? ・審査中はどうやって「審査中」と確かめるの?! 前回、触れなかったことを今回、綴る。これは申請というより、作成に関することだ。 上記にある「 規定のピクセル数(大きさ)で描いたら、画像荒くなるんじゃない?! 」と「 イラストのタグって何? 」について、詳しく綴ろうと思う。 ・規定のピクセル数(大きさ)で描いたら、画像荒くなるんじゃない?! これは「申請」というより、イラストの作成に関わる疑問に入る。 LINEのスタンプの規定の大きさがある。これは、 L INE Creators Marketの制作ガイドライン に書いてあるので、これを見る。 ガイドラインを見ていただくとわかると思うが、スタンプの大きさは「 横370px × 縦320px(最大)」である。ちなみに「px」は「ピクセル」という単位だ。 ただデジタルに関わった方はわかってくれると思うのだが、規定の大きさは小さい。 スタンプは元々大きなものではないから、この大きさなのだろうが、作っていく時に形式がラスターだと画像がぼやけた感じになる。 ベクターは拡大縮小しても変わらない。 そこら辺はまた、別の話になってくるのだが。 解像度の話になってきたりもするが、ウェブの場合は通常の写真くらいで大丈夫だったりする。 ちなみに私はお絵かきアプリのデフォルトの300dpi(←紙に印刷するときと同じくらいの高い解像度の設定。)で、規定より二倍の大きさのカンバス(横740px × 縦640px)に設定して描いた。後の処理が面倒であったが、画像が出来上がった時のぼやけた感じが気になるので、大きめで描いて、書き出し(画像を保存)する時に規定の大きさに変更した。 ちなみに、ウ...